2013年7月3日水曜日
「長州ファイブ」と森有礼。「5」の不思議
幕末最末期、長州の「田舎の若者5人組」は海外渡航の禁を犯して、イギリスへと辿り着く。
のちに「長州ファイブ」と呼ばれる5人組である。彼らはロンドン大学に入学し、西洋文明の最新知識を存分に吸収して日本へと戻って来る。
この5人のうち、「伊藤博文」は明治新政府の初代首相に就任。
ほか、「井上馨」は外務卿、「遠藤謹助」は造幣局長、「井上勝」は鉄道庁長官、「山尾庸三」は工部卿と、近代日本の礎を築く人材となるのであった。
彼ら長州ファイブに見られる数字「5」。
この数字は日本に馴染み深い。たとえば江戸時代の隣保制度である「五人組」。これは古代律令国家時代からの「五保の制度」と基本的には同じである。
いまでも田舎の地方などでは、結婚式などに「向こう三軒両隣」を招くしきたりが残る。それは、正面(向こう)の「三軒」と左右両隣「二軒」の合わせて「五軒」を指している。
なぜ「5」なのか?
対人関係が「2人」や「3人」の場合、その各点を結んでできる図形は、2人なら直線、3人なら三角形。その内部に「対角線」は生じない。つまり、2や3ではその関係性はその数字を上回ることがない。
ところが、「5つの点」を結べば外形は「五角形」で、その内部には「星形」の対角線が現れる。つまり、線は5本ではなく対角線も含めた「10本」。これを人間関係に当てはめれば、5人が「10通り」の多彩さに彩られるのである。
それが「5人の人間関係」の生む可能性である。
「口数が少ない物知りもいれば、気は優しくて力持ちもいる。スポーツは駄目でもメカには滅法強い奴もいたり、誰よりも情報の早い奴などなど、そんな多様な人材が不思議な関係を構築する。その『下限人数が5人』なのです」と、占部賢志教授(中村学院教授)は言う。
かの「長州ファイブ」もお互いの個性が強すぎて、国内では対立が絶えなかったという。ところが海の外ロンドンでは互いに切磋琢磨、意気投合。
同時期、ロンドンには新政府の文部大臣となる森有礼(もり・ありのり)もいたというが、彼は「薩摩藩士」。当時の長州藩士とは犬猿の仲である。ところが両者、ロンドンでは交流が芽生え、協力関係も生まれたという。
のちに森有礼の所蔵アルバムからは「長州ファイブ」の写った写真が発見される。撮影されたのは幕末の1863年、場所はイギリス・ロンドン。この写真は、「友情の証」にと長州藩士から贈られたものだった。
日本の「薩長同盟」を先立つこと3年、藩士同士は遠くロンドンの地で不思議な邂逅を果たしていたのであった。
(了)
ソース:致知2013年7月号
「甦れ、向こう三軒両隣の文化 占部賢志」
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