〜話:加藤咄堂〜
無眼流
無眼流(むがんりゅう)の開祖・反町無格(そりまちむかく)、諸国武者修行の途、或る山間を過ぎ谿間(けいかん)に一独木橋の架せるに遇ふ。渡らんとすれば橋揺(ゆる)ぎ、脚下を見れば懸崖数十丈、水激して岩を噛む。渡らんとして渡る能(あた)わず。
如何(いかが)はせんと佇(たたず)みしに、偶々(たまたま)来り合わせし一盲人の、橋の袂(たもと)にて下駄を脱ぎ、これを杖に通して帯の後(うしろ)に差し、匍匐して何の苦もなく渡り過ぎしを見。おもへらく眼の開(あ)きたる者は、心その為めに動かされ、恐怖の念、内に満ちて渡る能(あた)わざるも、 眼なき者は他に動かさるるものなきが故に、かえって虚心坦懐、もって胆力を養ふべし。
我もまた盲人の如くにして渡るべしと、渡り終って大いに悟るところありて、ついに一流を工夫して無眼流と名づけしと、談は『剣道』に出(い)でたり。かくの如きもまた禅家のいわゆる無念無想の趣(おもむき)を得たるものにあらずや。
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引用:加藤咄堂『
剣客禅話』
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