〜話:行徳哲男〜
京都の広隆寺にある弥勒菩薩に見入っていると、気持ちが和らいでいく。私にはそのわけがわからなかったが、ドイツの哲学者カール・ヤスパースが教えてくれた。戦前、日本にやってきた彼は弥勒菩薩を見て
「この菩薩の姿こそ、人間が達し得る最高の姿である」と。
「しかし、こんないい姿、いい顔になれるのは過ちを犯した人、罪ある人でなければこうはなれない」と。
この言葉に、私は不意をつかれた。
アメリカで名裁判官といわれる人たちの中には、前科者が多いという。自らが罪を犯したがゆえに、過ちを犯した人の気持ちに入っていけるのであろう。曲がった鍵穴を開けるためには、真っ直ぐの釘では開かない。曲がった鍵穴には曲がった釘が必要である。弥勒菩薩はそのことを私に教えてくれた。それによって私は救われた。
…
出典:行徳哲男『
感奮語録』
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