「超ひも理論」
このいかにも小難しいそうな理論を、大栗博司教授はロシアの「マトリョーシカ」にたとえる。
この可愛らしいダルマのような人形は、胴から半分に割れて、その中から一回り小さい人形が顔を出す。
その人形を割ると、さらにもう一回り小さな人形。また割ると、そのまた一回り小さな人形…。
こうしてついには、「小指の先ほど」の小さな人形にまで行き着く。
マトリョーシカの「入れ子構造」は、普通ここで終わる。それは原子にたとえると、原子の中にそれより一回り小さな「原子核」があり、その中には「核子(陽子と中性子)」、そして、その中の「クォーク」に至ったところだ。
「さて、この中には何があるでしょう?」
大栗教授は、試すように微笑みながら、小指大のマトリョーシカを丁寧に割って見せる。
そして、出てきたのは…
「輪ゴムだ!」
超ひも理論によれば、分割不可能と思われたクォークの中には、輪ゴムならぬ「超微小のゴムひものようなもの」が入っているとされている。
そして、その「ひも」は「バイオリンの弦」のようにプルプルと振動しているのだという。
素粒子を「点」ではなく、「弦(ひも)」と世界で初めてイメージしたのは「南部陽一郎」氏で、それは今から40年以上前の1970年のことだった。
その「弦理論(ひも理論)」が1970年前半に強化されたものが「超弦理論(超ひも理論)」と呼ばれるものだ。
マクロ世界を支配する「相対性理論」と、ミクロ世界を対象とする「量子力学」は、互いに相性が悪かったが、この「超ひも理論」がその仲を取り持ち、反目する両者を統合する可能性を垣間見せてくれたのだった。
大栗教授は小学生時代、湯川秀樹氏の伝記に感動したという。
「思考の力で自然界の最も深く揺るぎない真実に到達したという話に、感動しました」
そして、その憧れの京都大学へ。そこには「そんなことを考えている学生ばかり」がいた。
京大の数学者・佐藤幹夫(現名誉教授)は、若き大栗氏にこう言ったという。
「朝起きた時に、今日も一日数学をやるぞ、と思っているようでは、とてもモノにならない。数学を考えながらいつの間にか眠り、朝目が覚めた時はすでに、数学の世界に入っていなければならない」
超ひも理論によれば、極小のヒモなるものは「9次元空間」で振動しているという。
ご存知、われわれの知覚している世界は「3次元(縦・横・高さ)」。つまり超ひも理論が正しければ、「この世界には別に6次元の空間が隠されていることになる」。
「隠された6次元空間の中に、自然界の法則が書き込まれている可能性を、美しいと感じました」と、京大大学院に進んだ大栗氏は思ったという。
そして30歳の頃、アメリカ東部ボストンのアパートの中で、「100年に一度の大雪嵐」に閉じ込められる。
「そこで研究中の方程式を眺めていたら、ファインマン図を使ってそれが解けることが判ったんです。それまで数ヶ月にわたって考えていたことが、大雪嵐で閉じ込められていた時に結晶化したんだと思います」
大栗氏はトポロジー(位相幾何学)を用いた計算手法によって、「隠された6次元空間の距離をどのように測っても代わることがない物理量、それを素粒子が持っていること」を突き止めたのだった。
「数学の言葉で、この世界のことがスッキリわかるのは素晴らしいことです」と大栗氏。
こうした功績により、大栗氏はカリフォルニア大学バークレー校で教授に就任。32歳の最年少教授だった。
その後、超ひも理論は進化する。それまでは力が弱く働いている状態にしか適用できなかったものが、力が強く働く場合でも通用するようになる。
そのお陰で、犬猿の仲だった「相対性理論」と「量子力学」も、グッとその距離を近づけることになる。
両者の接点となったのは「ブラックホール」。
ブラックホールに入った「物質の情報」は失われるか否かという「ブラックホールの情報問題」が、そのキッカケになった。
ホーキング博士は「情報は失われる」と主張したが、逆の立場をとる科学者たちも多かった。
1996年、超ひも理論は「限りなく大きなブラックホールでは、情報は失われない」ということを計算によって証明。
残された問題は、「小さいサイズのブラックホール」だったが、こちらは2004年、「超ミニサイズ(プランクサイズ)のブラックホールでも情報は失われない」ということが証明された。
それを明らかにしたのは大栗教授。得意としていた「トポロジカルな弦理論」で、それを明らかにしたのであった。そして、ホーキング博士も自説を撤回することになる。
超ひも理論から40年。
それが万物の理論の本命であるのかどうかは、まだわからない。
まだまだ、大栗教授の仕事は残されている…!
(了)
出典:日経サイエンス2012年6月号
「超弦理論で世界の成り立ちを探る 大栗博司」
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