江戸には「うかつあやまり」という言葉がある。
たとえば、人に足を踏まれた時、踏まれた自分も「うかつでした」と謝る。
トラブルを未然に防ぐことができなかった迂闊さ(うっかり)を、相手に謝るのである。
こうした日本字っぽい言動は、欧米人の目にはじつに奇妙に写るらしい。
そういえば、野球の松井秀喜がニューヨーク・ヤンキース時代に、ケガをして謝ったことがあった。チームの戦力になれなくてゴメンナサイと。
だがアメリカでは、ケガをして謝る選手などいない。だから、松井選手が謝る姿は、その意味がよく理解されなかったらしい。
他人にはそう簡単に謝らない欧米人。だが、神には跪いて「祈る」。
最近では、医学の現場でお医者さんも「祈る」らしい。アメリカの医学校の75%以上では、「祈り」を医療に活かそうとする研究が行われているそうである。
というのも、部分的な処置に終始してきた西洋医学は、もう20年以上も前から「限界」に直面していたからだ。
アメリカの医療現場では、50%近くの医師が患者のために祈るという。
ヒーリング・サークルというのは、病気の患者の周りを7〜8人で囲んで祈る「治療」である(まるで、アメリカ原住民?)。
量子力学という学問では、相手を意識した瞬間に、相手との「量子レベルの絡み合い」が起こると説明される。
祈りというのは「感情」の一種であり、それは同時に「エネルギー(気)」でもあるようだ。
「病は気から」という観念論は、いまやエネルギーとして数値で測定することも可能である。具体的には、「音の共鳴」を使うことが多い。身体に悪そうな感情(エネルギー)を抱いている人は、やはり病気にもなりやすい。
たとえ過去の感情でも、それを思い出した途端に、そのエネルギーはよみがえる。たとえば、過去の怒りでも忘れずにいると、黒々としたエネルギーは自身を穢す。
そうした邪悪なエネルギー(感情)を解消するために、ハワイの原住民は「謝れ」と言っている。
それは「ホ・オポノポノ」という癒しの方法で、伝承者のヒューレン博士は病んでいた人々に、「ありがとう」「ごめんなさい」「許してください」「愛してる」とひたすら言い続けた。その結果、病棟の人々はみな癒された。
それまでの感情を肯定し、そして謝る。すると、不思議なことが起こるというのである。
なんらかの感情を抱いた時点でエネルギーが働き始め、それが時に細胞レベル(量子レベル)で肉体に悪影響を及ぼすことがある。そして、病という形をとることもある。
それを「祈り」、もしくは「謝る」ことによって、バランスを取り戻す。それが治療となるのだそうだ。
余談ながら、地球人口の1%の平方根の人々、70億人ならば8,366人の人々が祈ることにより、世界全体を癒すことができると考える人もいる(ブルース・リプトン教授)。
「情けは人のためならず」と同様、「謝るのは人のためならず」ということか。
ついつい、すぐに謝る日本人。
それは悪いことばかりではないのかもしれない…
(了)
出典:致知2013年6月号
「祈りでひらく人類の未来 白鳥哲・村上和雄」
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