「耐え難きをー、耐え、忍び難きをー、忍び…」
ご存知、日本の敗戦を告げた玉音放送(1945年8月15日)。
この文面を巡って、大激論が巻き起こったという日本政府内。
なんと、その案は7回も書き直されていたのだという。
「第一案からはじまって、第二案、第三案…、それで最後の第七案。でもやっぱり、まだ直しが入っている」と、日本公文書館の専門官・大賀妙子さんは言う。
大賀さんの手にするのは「戦争終結ニ関スル詔書案」。当時の極秘資料である。
最終案となった第七案でもまだ修正されているのは、「戦局日に非にして(戦局が日に日に悪くなっていく)」という部分。
「これは阿南惟幾(あなみ・これちか)が、海軍と揉めたやつですね」
そう口を挟むのは、博学の太田光(爆笑問題)。
「なんで、知ってんの?」と、不思議がる相方の田中裕二。
「そりゃそうだよ。『日本のいちばん長い日』ですから」と太田。
爆問・太田の言う「日本のいちばん長い日」というのは、玉音放送までの24時間を描いた東宝の映画である(1967)。
山内聡演じる「海軍大臣・米内光政」は言う、「私は、『戦局日に非にして』でいいな。もはや我が国は、軍事的に崩壊してしまっておる」。
だが、三船敏郎演じる「陸軍大臣・阿南惟幾」は声を荒げて、断固反対する。
「これはあくまで、『戦局日に非にして』ではなく、絶対に『戦局必ずしも好転せず』と訂正すべきである!」
現実を率直に語ろうとした海軍大臣・米内光政に対して、陸軍大臣・阿南惟幾は、それは危険すぎると考えていた。
陸軍大臣・阿南の恐れていたのは、軍部によるクーデター。当時の陸軍の内部には降伏を認めずに、あくまで強硬に、徹底抗戦を唱える者が少なくなかった。そこにもし、「戦局日に非にして(日増しに悪くなって)」などと進んで負けを認めるような言葉を使ってしまえば、彼らが暴れだすかもしれない、と恐れたのである。
陸軍と海軍は、その最後の一語を巡って、揉めに揉めていた。
しかし時はもうない。8月6日には広島、8月9日には長崎に原爆が落とされ、8月8日にはあろうことかソ連までが、条約を破って本土に攻撃を開始してきた(北方領土)。
それでも、政府内の議論には決着がつかない。そこで、議論の決着を待たずに、詔書の「清書作業」が始められた。問題の箇所は、「戦局日に非にして」のままにして…。
ところが、最後の最後で、阿南惟幾の案が通ってしまった。
これは困った。正式な詔書の文言を、「戦局日に非にして」から「戦局必ずしも好転せず」に書き直さなければならない。
だがもう、一から清書し直している時間など、ない…。
結局、どうなった?
国立公文書館に残る、正式な「終戦の詔書」には、その苦心が刻まれている。
その原本をよく見ると、紙の表面が削り取られた上に、「戦局必ズシモ好轉セス」と書かれてある。つまり、清書をやり直さずに、「戦局日ニ非ニシテ」の文言が刃物で削り取られたのである。
天皇の署名(自筆)と御璽(印)が入っている正式な詔書にも関わらず…!
それを見て、爆問・田中はビックリ。
「修正した跡があるもんね。だって、字の大きさとかも全然合ってない。詰まっちゃってる」
そりゃそうだ。元の文言であった「日ニ非ニシテ」は6文字、そのスペースに「必ズシモ好轉セス」の8文字が無理やりに押し込められているのだ。当然、文字が寸詰まりにならざるを得ない。
さらには、最終ページの天皇の署名と御璽(印)もおかしい。御璽が詔書の文章に重なってしまっている。これも普通では考えられない。
正式には、罫線の引かれたページのうち、後ろから残り7行分は御璽を押すスペースとして空けておかなければならない。ところが、詔書の文字が多すぎたあまり、御璽には6行分しかスペースが残されておらず、その結果、文字とかぶってしまったのだ。
通常であれば、全文書き直しのとんでもない大失態。だが、それがそのまま通ってしまうほど、時間がなかったのだろう。
余談ではあるが、強引に「必ずしも好転せず」を詔書に通した陸軍大臣・阿南惟幾、この文書に署名をした後しばらくして、自刃して果てた…。
(了)
出典:NHK探検バクモン
紙のみぞ知るニッポン
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