「大根役者」は悪口か?
その語源をたどれば、消化酵素の多い大根は、傷みにくいために腹を壊したり、食中毒にならないことが、その元となったらしい。
「食当たりしない → 当たらない → 売れない(役者)」
食材としては優秀な大根が、いつの間にか「売れない役者」になってしまっている(また一説には、下手な役者が役をおろされることを、大根おろしにかけたというのもある)。
では「大根足」は?
「古事記」には、女性のか細い腕枕で眠るさまを詠んだ仁徳天皇の和歌がある。ここでは、「白く細い大根が、美しさを表す褒め言葉となっている」。
ところが後の世、かつてはか細かった大根が、度重なる品種改良のおかげで、現在のような「ブッとい大根」になってしまった。
これまた食材としては大変に有難い話であるが、「大根足」のほうはといえば、ありがた迷惑なほどに太くなりすぎた。
そんな大根。
禅寺では昔から変わらずに重宝されてきた。
大根を干して、大きな木樽で数千本の沢庵をつけるのは、禅寺の風物詩。
修行僧用の沢庵は、向こうが透けるほどに薄い。それは、ポリポリ噛む音が聞こえないように、との配慮だというが、少し物足りなさもあるような…。
また、参拝者用のお膳では、沢庵を一枚残す作法がある。その残した沢庵、椀にお茶を注ぎ、残ったわずかなお米を頂くためだそうだ。
永平寺の典座老師というお方は、心をこめて大根料理をつくっていたという。
「ワシなどもう何十年も寺の台所に立っておるが、同じように煮たつもりでも、決して同じ味にはならん。今でも大根の煮物ひとつ、思い通りの仕上がりになるかどうか、やってみなければ分からんくらいだ」
大根の煮物ひとつでも、決して軽んずることのなかった典座老師。長い年月をかけて一事に専心して精進していくことを、大根料理で教えるのであった。
「一事をこととせざれば、一智に達することなし」
「多般を兼ぬれば一事をも成ずべからず。努々(ゆめゆめ)学人一事を専らにすべし」
これらは、道元禅師の正法眼蔵に見られる言葉である。
出典:大法輪2013年4月号
「こころと身体を養う精進料理 高梨尚之 曹洞宗永福寺住職」
0 件のコメント:
コメントを投稿