危険に対する「恐怖心」。
それは「克服したり打ち消したりしてはダメだ」と、登山家・竹内洋岳さんは言う。
「恐怖心があるがゆえに、それを利用して危険を察知し、危険を避けて進んでいくのです」
世界の山々で「危険な体験」を繰り返してきた竹内さん。危険に遭うたびに、その心には「恐怖心」が厚く積み重なっていったという。
それは登山家としての宝でもあった。
「危険に対する、より高度なセンサーを手に入れたようなものですから」
これから起こりうる危険を、いかにリアルに想像できるか。それが登山家が死を避けうる、精一杯の防御策であった。
「登山で相手にするのは、大自然という人間のコントロールを超える存在です。いくら自分ばかりが意気込んでも、天候に恵まれるなど『自然の了解』を得られなければ登頂は成功しません」と、竹内さんは語る。
時には「死んでしまう」という想像もしなければならない。
「死んでしまうと想像できるならば、どうすれば『死なずに済むか』を想像するのです。山の中では、想定外は存在しません。その時には命を落としているのですから」
そこまでの覚悟がなければ、山へは挑めない。竹内さんは、そう言うのであった。
だが、2007年の出来事は、その竹内さんの「想像」をはるかに超えてしまっていた。
標高8,035mのガッシャブルムⅡ。世界に14座しかない最難関の8,000峰の一つ。
「雪が少し落ちてきたな…」、そう思った時には、足元の雪が崩れていた。
ゴロゴロゴロゴロ
雪もろとも転がり落ちる竹内さん。
だが、これは雪山ではよくあることだ。
「途中にあった平らなところで止まるだろう」
竹内さんは、そう想像していた。
ところが、気づいた時には、その平らなことろは通り過ぎており、なおも転がり落ちている。
「この雪崩では、もう助からない…」
そう観念すると同時に、その瞬間、「怒り」が湧いてきた。
「自分の想像が及ばず、雪崩に巻き込まれてしまったことに無性に腹が立って、転がり落ちながら意識が途絶えるまで、怒り続けていたことを覚えています」と、のちに竹内さんは語っている。
雪崩とともに滑落した距離、およそ300m。
東京タワーから落ちたのと同じくらいの距離を落下した末、雪中深くに埋まってしまった竹内さん。その真っ暗闇の中、もう意識はない。
一緒に登っていた2人は、すでに死んでいた…。
幸いにも、竹内さんにばかりは奇跡が訪れた。
一日遅れで登ってきた別の登山隊によって発見され、雪の中から掘り起こされたのである。
だが、無茶苦茶になっていた竹内さんの身体を見て、ベースキャンプのドイツ人医師は絶望した。
「ヒロ…、残念だが、お前はもう助からない…」
背骨の一つが潰れ、肋骨は5、6本折れ、肺の片方も潰れている。さらには、凄まじい痛みのために、竹内さんは錯乱状態に陥っていた。
それでも諦めない人々は、大使館などを通じてパキスタン政府に働きかけ、禁止エリアまでヘリを手配してくれた。
そして、待ち構えていた日本大使館の方々は、瀕死の竹内さんを日本にまで送り届けてくれたのであった。
「あの時、私に関わってくださった方が一人でも欠けていたとしたら、私は助かっていませんでした」と、回復した竹内さんは、その感謝を口にする。
「積み木の山が、途中の木片を抜き取ると崩れてしまうように、これまでの出会いが一つ欠けても、きょうの自分はなかったと思います」
なぜ、生きられた?
あの時、一度死んだはずだ。
いまある命は、新しい命ではないか?
「山で与えられた命は、山で使わなければいけない」
そう一途に思った竹内さんは、まだ背骨にシャフトが入ったままの一年後、ふたたびガッシャブルムⅡに挑んでいた。一度は死んだ、あの山に。
そして、登頂を果たした。それが、助けてくれた人々に竹内さんが示す、最高の感謝の気持ちであった。
そして、次々と8,000m峰を登頂していった竹内さん。
ついには14全座の完登に成功。
それは、日本人としては初の快挙であった…!
出典:致知2013年6月号
「登り続けることで、次の山が見えてくる 竹内洋岳」
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