2013年6月18日火曜日

会津藩家臣「西郷頼母」の歌碑



福島県白河市

幕末の慶応四年(1868)、新政府軍と奥羽越列藩同盟軍の攻防戦が行われた。

最も激しい戦となったのは、同盟軍が本陣を敷いた「稲荷山」。数で優る同盟軍だったが、新政府軍の奇襲部隊に攻められ、白河小峰城を奪われてしまう。

およそ100日間の攻防の末、同盟軍の敗北で幕を閉じた。







会津藩の家臣「西郷頼母(さいごう・たのも)」の歌碑が、稲荷山古戦場跡に立てられている

うらやまし
角をかくしつ
又のへつ
心のままに
身をもかくしつ

身を隠せるカタツムリを羨む心情である。







会津藩墓所にある銷魂碑には、戦死した者たちの名が刻まれている。会津藩が痛手を負った白河での戦い。この敗北が、東北一帯の運命を変えることとなる。









出典:NHK大河ドラマ「八重の桜」
第23回「会津を救え」

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