江戸末期、薩摩藩主・島津久光の逆鱗に触れた「西郷隆盛」
36歳で徳之島へ、さらに沖永良部島(おきのえらぶ・じま)へと遠島流罪となってしまう。
当時、沖永良部島に流されるというのは「死刑に次ぐ重刑」だった。
「西郷はその島で、戸も壁もない獣の檻のような吹きさらしの獄舎に幽閉された。同時に一族郎党を含め、西郷家の財産はすべて没収されていた」
この極限に絶望的な状況下、西郷は800冊の本を詰め込んだ行李3つを獄舎に持ち込んだ。そして猛烈に勉強していた。
西郷が友人(桂右衛門)に送った手紙には、こうある。
「牢中に召し入れられ、かえって身の為にはありがたく、余念なく一筋に志操をみがき候。ますます志は堅固に突き立てもうすことにて、御一笑くださるべく候」
禅の言葉に「歩歩是道場」というのがある。
「歩歩」というのは「いま・ここ」ということであり、自分の今いるところである。
それがそのまま道場である、と禅語は言うのであった。
出典:致知2013年7月号
「歩歩是道場」
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