2013年6月30日日曜日

「無傷のゼロ戦」により暴かれたゼロ戦の神秘



「それまでアメリカ軍にとって、ゼロ戦は『謎の戦闘機』だったのです」

ところが1942年の7月、アメリカ軍は不時着した「ほぼ無傷のゼロ戦」をアクタン島で手に入れる。

「その発見の一報に、関係者は驚喜したといいます」と、井崎源次郎は話す。彼は第二次世界大戦を戦った元ゼロ戦パイロットである。






「ゼロ戦はアメリカ本国に持ち帰られ、徹底的にテストされました。そして、これまでアメリカ軍にとって『神秘の戦闘機』だったゼロ戦の秘密のベールがすべて剥ぎ取られたのです」と井崎は言う。

アメリカ軍の航空関係者はテストの結果に「愕然とした」という。それまで「イエロー・モンキー(黄色い猿)」と馬鹿にしていた後進国の日本が、「真に恐るべき戦闘機」を造り上げていたことを知ったからである。



「そして彼らは、現時点においてゼロ戦に互角に戦える戦闘機は我が国に存在しないということを認識したといいます」と井崎は言う。

それは彼らにとっては認めたくはなかった「恐るべき答え」だった。



以後、アメリカ軍の「ゼロ戦に対する戦い方」が完全に変わる。

「はっきりとゼロ戦との格闘を避け始めました」と井崎は話す。

恐ろしく速いくせに、とんでもなく小回りのきくゼロ戦。その素早さに対抗できる戦闘機はアメリカ軍には存在しなかった。ゆえに、抜群の格闘性能を誇るゼロ戦に、いとも容易く米軍戦闘機は撃ち落とされていたのである。



アメリカ軍は「3つのネバー(禁止)」を全パイロットに徹底させた。

1,「ゼロと格闘してはならない」
2,「時速300マイル(およそ時速480km)以下で、ゼロと同じ運動をしてはならない」
3,「低速時に上昇中のゼロを追ってはならない」

この3つの「ネバー」を犯した者は、容赦なくゼロに墜とされる運命になる、と。










アメリカはゼロ戦の「弱点」も見抜いていた。

「防弾装備が皆無なこと」
「急降下速度に制限があること」
「高空での性能低下」など



そうして編み出されたアメリカ軍の新戦法は、「徹底した一撃離脱」。そして、「一機のゼロ戦には、必ず2機以上で戦うこと」だった。

「一撃離脱と2機一組の攻撃、こうした米軍の新戦法は我々を戸惑わせました」と井崎は語る。



当時、米英パイロットたちはゼロ戦搭乗員を「デビル」と呼んでいたという。

「奴らは『操縦桿を握った鬼』だ」と。







(了)






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ソース:永遠の0 (講談社文庫) 百田尚樹

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