2013年6月6日木曜日

「大きな努力で、小さな成果」 イエローハット創業者・鍵山秀三郎



「凄い社長がおられます!」

その部下は、異様に興奮していた。

「何か人と違うのか?」と、野村證券の杏中保夫は、部下に聞き正した。



「まったく違うんです!」

部下はその一点張り。それは言葉に表現できず、会ってみなければ分からないと言うのである。

そして杏中氏が会ったのが、イエローハットの社長「鍵山秀三郎(かぎやま・ひでざぶろう)」氏。

部下の言うとおり、確かに「何かが違う」。だが、その印象はやはり表現できない。



普通の社長であれば、この会社の今後の見通しはこうで、利益やシェアは…という話になるはずが、鍵山社長はニコニコしながら「そうですか、そうですか」と話を聞くばかり。

だが、鍵山社長のポロリとこぼした言葉は鮮烈だった。

「大きな努力で、小さな成果」



「えっ? 大きな努力で、小さな成果?」

逆じゃないか? 当時の野村證券はノルマ証券といわれたぐらいに「成績重視の会社」。まさに生き馬の目を抜く社会。そんな荒野で杏中氏は生きてきたのだ。

それが、鍵山社長は別の世界の住人のように、「小さな成果」に大きな努力を払っていると言うのである。



「これまで私は、『大きな努力で小さな成果』という話を大勢の人たちにしてきました」

と鍵山社長。

「しかし、いずれも否定されましたね。『ビジネスの世界でそんなこと言ってどうするんですか?』『そんな考えでは経営者の資格がない』と」

杏中氏も正直そう思った。証券業界というのは「小さな努力で、いかに大きな成果を求めるか」という世界である。



だが、鍵山社長はその腕一本で、一千億企業を築き上げた人物である。

「小さな成果」がそれだと言うのなら、いったいどれほど「巨大な努力」をしてきたというのか。



鍵山氏がカー用品業界に入ったのは20歳の頃。

当時「なんと質の悪い業界か」と鍵山氏は驚いたという。

「じつにあくどい。質の悪い仕事をしていました。たとえば職場が汚い、接客が乱暴。雪が降ったらタイヤチェーンの価格を10倍、20倍にする」



そうした悪事を一つ一つ潰していったという鍵山氏。

だが反発も食らった。時には業界全体から悪い評判を立てられたり、暴力団に監禁されたり、と散々な目にも遭わされた。

そうした妨害の中で若き日の鍵山氏はこう考えた。

「やっておけばよかった」とは思いたくない。「やっておいてよかった」と思いたい、と。







鍵山社長は大社長になってからも、下っ端のするような「掃除」を率先してやっていた。

「世の中には『上を向いて昇り続ける人』はいます。一方、『下を見て下へ行こうという人』は少ない。上に昇るのも大事だけれど、下に降りて下から物事を見つめるのも大事だ、というのが私の考えです」

鍵山社長はサラッとそう言う。功利主義に固まってしまったような、この世の中で。



そんな鍵山社長の「掃除」が評判を呼び、あるとき中国の科技大学に招かれた。

だが、中国で目にしたトイレは、日本ではあり得ないほどの惨状だった。

「水洗便所なのに水を流していないのです。『なんで自分が後の人のために流さなきゃいけないのか?』、そして後の人は『なんで自分が前の人の始末をしなくてはいけないのか?』と言って、その上に用を足してしまうんです」と、鍵山社長は当時の状況を振り返る。

中国の国民が「いかに自己中心的か」は、その便器に山となっていた糞便が雄弁に物語っていた。



さあ、どうする?

大勢の中国人学生たちが、鍵山社長の行動をじっと見守っている。

「私は『素手で』それをすべて処理しました」と鍵山社長。



科技大学の知的な学生たちは、こう考えていた。

「トイレ掃除など、なんと理に合わないバカなことを」と。

だが、そんなことを驚くほど大真面目に鍵山社長は、学生たちの前でやってみせた。しかも素手で(!)。

それは学生たちにとって「理外のこと」であった。頭で考えても分からない、それでも学生たちの心は「確かな何か」を感じていた。

鍵山社長は言う。

「それからです。学生たちが変わったのは」


自己中心的な人々は、とかく「自分に与えられた権利」を目一杯に使おうとする。だが鍵山社長は「権利を使い尽くしてはいけない」と話す。

「今はなんでも自分の権利を精いっぱい使おうという時代です。これが世の中を悪くしていると思うんです」







「ゼロから一までの距離は、一から千までの距離よりも遠い」

と、ユダヤの格言にある。

「気がつかないこと」がゼロであり、気がついてすぐに動けば、それが一になる。

ゼロのままであるのは「やっておけばよかった」の世界であり、一歩足を踏み出した世界は「やっておいてよかった」ともなりうる。



鍵山社長が掃除に勤しんで、はや50年以上。

「誰にでも出来ることを、誰にでも出来ないほど続けたい」と鍵山社長は言う。

「若い時は『わずか一日が自分の人生にそんなに影響するものではない』と思っていました。しかし今は『どの一日を抜いても、私の人生は変わっている』という感覚です」



「こんな世の中にしたままで、後世に置いていけない」

そんな想いが、鍵山社長を日々の掃除へと駆り立てる。

「やっておけばよかった」とは思わぬように…







(了)






出典:致知2013年7月号
「歩歩清風起こる 鍵山秀三郎・杏中保夫」

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