話:鈴木大拙
つぎの話によって「無心」というものを説明しよう。
一人の樵夫が奥山でせっせと樹を切っていた。
”さとり”という動物が現れた。平素は里に見当たらぬたいへん珍しい生きものだった。
樵夫は生け捕りにしようと思った。動物は彼の心を読んだ。
「お前は己を生け捕りにしようと思っているね」
度肝を抜かれて、樵夫は言葉もでないでいると、動物はいった。
「そら、お前は己の読心力にびっくりしている」
ますます驚いて、樵夫は斧の一撃によって彼をうちたおしてくれんという考を抱いた。すると、”さとり”は叫んだ。
「やァ、お前は己を殺そうと思っているな」
樵夫はまったくどぎまぎして、この不思議な動物を片付けることの不可能を覚ったので、自分の仕事のほうを続けようと思った。”さとり”は寛大な気配を見せなかった。なおも追及していった。
「そら、とうとう、お前は己をあきらめてしまったナ」
樵夫は、自分をどうしてよいか、わからなかった、おなじくこの動物をどう扱っていいか判らなかった。とうとう、この事態にまったく諦めをつけて、斧を取り上げた。”さとり”のいることなぞ気に掛けないで、勇気をだして一心に、ふたたび樹を切り始めた。
そうやっているうち、偶然に斧の頭が柄から飛んで、その動物を撃ち殺した。いくら読心の智慧をもっていたこの動物でも、「無心」の心まで読むわけにはゆかなかったのだ。
引用:鈴木大拙『禅と日本文化 (岩波新書)
』第四章 禅と剣道
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