2012年9月29日土曜日

「柔軟心」とは?


禅のいう「柔軟心(にゅうなんしん)」とは?

偏見や先入観を排し、一つのことに囚われることなく、どんな時も柔軟な心を保つこと。

たとえるならば、空に浮かぶ雲。形も流れもまったく自由な心。



出典:禅が教えてくれる 美しい人をつくる「所作」の基本

玉石混交の「石」ばかりを収集したマンガ評論家、米澤嘉博



マンガ評論家「米澤嘉博」。

人呼んで「マンガ収集の鬼」。




米澤には自らに課した掟があった。

それは「すべてを受け入れる」。

「マンガのコレクターって、手塚治虫や石ノ森章太郎のような『宝石』のような作家をコレクションしている人はいっぱいいます。一方、米澤さんはコンビニで売られているレディースコミックなど、今は日常的に手に入るが、『コレクターがいない種類のマンガ』を非常に意識的に集められた。みんな読んでいたのに、後から読めなくなるというのを防ぎたいと考えていたんです。」

「マンガというのは玉石混交であり、たいていのコレクターは『宝石』の部分だけを集めたがるんですけど、米澤さんは『石コロがないと宝石も生まれない』という考え方の持ち主で、むしろピラミッドの『底辺部分の厚さ』が頂点の高さを支えている。その底辺こそが大事だと考えていたのです。」



米澤は有名な作品のみならず、これまで顧みられなかった漫画をも体系的に捉え直すために、前人未到の研究に挑むため、膨大な漫画を収集した。

「米澤さんはずっと家でマンガ本を収集していたんですね。家がマンガ本でいっぱいになると引越しをされて、残された家を倉庫として潰していくという形。転居した家の跡に、マンガの倉庫として潰された家々が点々としている。本人は『ヤドカリ生活』と呼んでいたそうです。」






出典:NHK 探検バクモン「愛と欲望のマンガ道」

ムカサリ絵馬とは?



山寺・立石寺に納められている不思議な絵馬。

「ムカサリ絵馬」

ムカサリは古い言葉で「結婚」を意味する。描かれている花嫁や花婿はこの世にはいない。わが子と死に別れた親たちが、子供が生きていたら適齢期を迎える頃、絵馬の中で結婚を祝うのである。



ムカサリ絵馬を描く人が今もいる。絵師・高橋知佳子さん。遺族に頼まれ、これまで100以上の絵馬を手がけてきたという。

今描いているのは、16歳で亡くなった少年。遺影を元に、成人した姿を思い描く。



少年の母親が絵馬を受け取りに来る。

「おめでとうございます」

「喜んでるかね? ちょうど命日なんで…。こんなキレイな花嫁さんを娶ったら、もう親としては…。優しい子だったからね…」



遠く隔たってしまった親と子、あの世とこの世。

二つの世界を繋ぎ止めるのが、このムカサリ絵馬である。






出典:NHK新日本風土記「奥の細道」

紅花の不思議な咲き方。半夏ひとつ咲き。



「紅花」には不思議な咲き方があるというが…?

毎年決まった暦の日に、わずか「一輪」から咲き始めるのだという。

その日は、夏至から数えて11日目の「半夏生(はんげしょう)」の日。



その早朝。

4月の種まきから始まって、丹誠込めて育ててきた畑。

「あっ、咲いてます。ちゃんと咲いてくれています」



昔から、「半夏ひとつ咲き」と呼ばれ、夏の到来を告げるとされている。

この一輪を合図に翌日から、紅花は一斉に花を咲かせるとのことである。






出典:新日本風土記「奥の細道」

2012年9月24日月曜日

科学者たちの「一つの声」


東日本大震災、福島原発事故…、その時、科学者たちの助言や提言が最も必要とされた。

しかし悲しいかな、それぞれの科学者たちは、それぞれ個人的な意見を述べるのみで、「統一された見解」というのには、ついぞお目にかかれなかった。

それゆえ、国民たちはおろか、政府までが大混乱をきたしていた。



「合意された一つの声(ユニーク・ボイス)」

もし、信頼のおけるそのようなものがあったのならば…。



ところ変わって、こちらはイギリス。

ここには「ユニーク・ボイス」があった。それが、イギリスの主席科学顧問制度である。

非常事態に際し、専門知識をもつ科学者たちが動員され「統一見解」を首相に直接助言するのである。



日本の福島原発事故のわずか2日後、イギリスの科学者たちは、即座に統一見解を首相に示した。

「イギリス人を日本から非難させる必要はない」

今になって思えば、これは明確で適切な助言であった。



出典:日経 サイエンス 2012年 01月号
「科学者に『ひとつの声』は要るか」

正しすぎる間違い


「しかし、いやはや、『正しすぎ』まする。

正しすぎるのは、もはや、『間違うておる』のと一緒にござりまする…(平忠盛)」



息子の輿を公卿に襲われた平重盛(清盛の跡継ぎ)。ところが、有職故実に則り、大人しく引き下がった。

しかし、その「正しすぎる処置」に納得のいかぬ家人たち。頭ではその正しさをわかるものの…、平家としての誇りは痛く傷つけられてしまっていた。



そして、ついに…。

暴徒と化した平家の家人たちは、平家を辱めた公卿の輿に襲いかかる…!



正しすぎた平重盛は、やはり間違っていたのか?





2012年9月23日日曜日

「答え」を求めたがる科学者たち


「科学者はいつも『答え』を求めてしまうが、わたしは『問い』の方が大切であると考えている。

たとえば、本当にナノテクノロジーは新しい技術なのだろうか。私たちの身体が原子で構成され、ナノレベルの電子モーターによって動いているというのに…。

つまり、『答え』というのは『視点』が変われば変わってしまうということだ。むしろ、その『視点』こそが科学技術の真価なのではあるまいか」



サー・ハロルド・W・クロトー(米国フロリダ大学教授)



出典:日経 サイエンス 2012年 01月号
「真実を求めようとする『視点』こそ科学技術の真価」

ペテン師か? 大天才か? 「ヒトは100万年生きられる」


長髪、ボーボーのヒゲ、青ざめた肌…。

こんな不健康そうな人物が、「ヒトは100万年生きられる」と言っても、信じられるだろうか? 怪しすぎる…。

そんな彼が「ペテン師」と罵倒されるのも、やむをえない。



だが、そのペテン師は、ややもすると「大天才」かもしれない。

MITの学術雑誌「テクノロジー・レビュー」が、彼の理論を「反証」した者に2万ドル(160万円)もの懸賞金をかけたにも関わらず、並み居る天才たちは彼の論理に反証することができなかったのだ。



ペテン師か? 大天才か? その彼の名は、「オーブリー・デグレイ」。

エンジニアでもあった彼は、「寿命を延ばすのは、家や車の修理と同じことだ」と豪語する。

さらに、「あと10年でラットの寿命を3倍にしてみせる」と宣言。この大胆宣言は2004年になされたもの。とすると…、タイム・リミットまで「あと2年」。

彼の大ボラは、どこまで響くのか?





出典:WIRED (ワイアード) VOL.4 (GQ JAPAN2012年6月号増刊)
「『死なない』生命工学 オーブリー・デグレイの驚愕理論」

2012年9月22日土曜日

猫背にならない立ち方。骨に乗る


なぜ、『猫背』になるのか?

それは、「正しく骨に乗れなていないから」だと、小池義孝医師は言う。



「猫背の人は、ほぼ例外なく、重心が前にズレています」

体重が前方にかかると、人は腰を後ろに引いて前後のバランスを取ろうとする。すると、上体は「く」の字に折れて、前のめり。つまり、猫背となる。

逆に、カカトに目一杯体重を乗せると、今度は腰を前に出さないと前後のバランスが取れない。つまり、なりたくても猫背になれない。



正しく骨に乗るには、スネの内側の太い骨に体重を乗せなければならない。それは、どちらかと言うと、「カカト寄り」である。なぜなら、スネはカカトから伸びている。

それでも、普通の人はどうしても「つま先寄り」に立ってしまう。それはなぜか?



「私たちは半ば無意識に『足裏のどこに重心を乗せたら安定するか』を判断しています。この時、とりあえず『真ん中あたりに乗っておこう』と脳は考えます。

しかし、足の裏の中心は、スネの太い骨よりも前寄りに位置しています。だから、体重がつま先に寄ってしまうのです」



立っても座っても猫背になる人でも、不思議と猫背にならない時があるという。

それは、「膝立ち」をしている時。

なぜなら、膝は足の裏よりも面積が狭いため、どうしても、「一点」で立たざるを得ない。つまり、前寄りにも後ろ寄りにもなりにくい、ということである。



なるほど、猫背になるのは、足の裏が前後に長く、前寄りにも立ててしまうことが原因であったか。確かに、足の裏の真ん中に立とうとすると、どうしてもスネよりも前の位置で立とうとしてしまう。

少し考えれば、足の裏がスネへとつながっているのは、足首のくるぶし部分だと分かる。だからこそ、このくるぶしに立つことが、正しく骨に乗ることにつながるというわけだ。





出典:致知2012年9月号
「猫背はカンタンに治る」
小池義孝

プロバガンダ合戦に弱い日本


「それにしても、日本は海外における『プロバガンダ合戦』に弱い。

戦前も蒋介石夫人の宋美齢にロビー活動をやられ、アメリカの反日感情が高まり、それが日米戦争へと発展していった。

蒋介石は宋美齢だけでなく、ティンパーリという外国人記者を中国国民党の中央宣伝部顧問として雇い、『南京大虐殺』という大嘘を世界中にばらまかせた。」



「そもそも、現在の従軍慰安婦問題も『従軍慰安婦』なる言葉を作り出したのは、千田夏光という日本人の作家であり、それを朝日新聞社や毎日新聞社が広め、そこに韓国が乗っかってきた形だ。南京大虐殺もまったく同じ構図である。

日本人でありながら、日本にいて反日活動を行う人々がいる。そのことが私は残念でならない。」



「2007年、私財を投じてアメリカの『ワシントン・ポスト』に、『The Facts』として従軍慰安婦はなかった旨の意見広告を出した。

この意見広告の一番のポイントは、日本政府や軍部が慰安婦の斡旋業者に対し、『慰安婦になることを強制してはならない』という姿勢を打ち出していた物的証拠がある、ということだ。当時の新聞にはっきりとそう書いてある。

また、実際に強制的に慰安婦として女性を連れてきた業者は、政府に摘発され罰せられたという記事も残っている。」



引用:致知2012年10月号
「私は子孫に日本国を残したい」
作曲家・すぎやまこういち

2012年9月21日金曜日

オキュパイ・デモクラシー! アル・ゴア元副大統領


「アル・ゴア」アメリカ元副大統領、曰く。

「われわれの民主主義はハックされました。もはや民主主義は国民の利益として機能していません。

その理由は、われわれがまだ『テレビの時代』を生きていることに起因しています。平均的なアメリカ人は一日5時間テレビを見ています。

テレビがもつ一方通行で中央集権的なパワーは、政治システムと密接に結びつき、その内容は政治家や企業による資金に支配されています。いま、選挙資金の70%はCBSの30秒スポットに使われているのです。

アメリカがイラクを侵攻した時、多くのアメリカ人は『フセインには9.11テロの責任がある』と信じていました。もし、インターネットのソーシャル・メディアなどがもっと成熟していたら…、イラク侵攻は起きなかったと思います。

今こそ、オキュパイ・デモクラシー(民主主義を占拠せよ)だよ!」



※ショーン・パーカー(NapsterやPlaxoの共同設立者)との対談において。



引用:WIRED (ワイアード) VOL.4 (GQ JAPAN2012年6月号増刊)
「Al Gore and Sean Parker」

2012年9月20日木曜日

若き創業者たち


起業は25歳まで?

25歳以下で創業し、世界企業を創りあげた偉人たち。



17歳 IKEA : Ingvar Kamprad(1943)

18歳 Sharp : 早川徳次(1912)



19歳 Dell : Michael Dell(1984)

19歳 Facebook : Mark Zucherberg(2003)



19歳 WordPress : Matt Mullenweg(2003)

20歳 Suntory : 鳥井信治郎(1899)

20歳 Microsoft : Bill Gates(1975)

21歳 Seiko : 服部金太郎(1881)

21歳 Walt Disney : Walter Elias Disney(1923)

22歳 Apple : Steve Jobs(1976)



22歳 Virgin Records : Richard Branson(1972)

24歳 Panasonic : 松下幸之助(1918)



 24歳 Cirque du Soleil : Guy Laliberte(1984)

25歳 HP : William Hewlett(1939)

25歳 Bang & Olufsen : Peter Bang(1925)

25歳 Yahoo! : Jerry Yang(1994)

25歳 Google : Larry Page & Sergey Brin(1998)





出典:WIRED (ワイアード) VOL.4 (GQ JAPAN2012年6月号増刊)
「A view form the top」

韓国、国債格上げの功罪。


ムーディーズ、フィッチ、S&Pなど、大手格付け機関による相次ぐ「韓国国債」の「格上げ」。

フィッチ・レーティングスの評価においては、韓国国債の格付けが、史上初めて日本国債を上回った。

韓国の国債格上げの理由としては、政府債務の少なさ、北朝鮮リスクの低下、外貨準備高の持続的増加などが挙げられている。



この朗報を受けて、韓国の毎日経済新聞には、こんな言葉が躍り上がっていた。

「庚戌国恥102年、宿命のライバル韓日実力比較」

「庚戌」とは1910年の日韓併合、すなわち日本による植民地支配の始まりを示す。この年が韓国にとっての「国恥」、国の恥なのである。

その恥から102年、ついに韓国は日本を超える可能性が出てきたというのである。



しかし、現在の韓国の経済規模(GDP)は日本の5分の1程度にすぎない。

それでも、あと40年もすれば日本をGDPでも追い越すと、その記事では試算されている(韓国3.4%の年率成長、日本マイナス0.6%を前提)。

最近の李明博大統領の竹島上陸なども手伝って、「政治的な」向きの人々は、この朗報に大いに盛り上がっているというわけだ。



その一方、非常に冷め切っているのが経済関係の人々だ。

「格上げ? 信じられない。いったい韓国経済のどこをみているんだ?」

財閥グループの経営者は、「韓国の景気はどんどん悪くなっている」というのである。



輸出で身を立てている韓国は、ユーロ危機や中国の成長減速の影響に直撃され、ここ数ヶ月の間に輸出が急減してしまっている。

民間の債務急増も国内問題の一つだ。不動産価格の急落により、身動きの取れなくなった庶民たちが急増しているのである。その積み上がった個人債務は、韓国のGDPと同じほどの背丈になりつつある。

4〜6月期の韓国GDPの成長率は0.3%にまで低下。年間では政府予想を大幅に下回る2.5%。このペースでは40年で日本に追いつくことなど不可能だ。



韓国の識者たちは、こうした現実を知っている。だからこそ、無闇に浮かれることを戒めている。

「1997年、韓国が通貨危機に落ち入る直前まで、韓国の格付けはA等級の経済優等生だった。それなのに、そのわずか1〜2ヶ月で国家不渡りの危機に直面したのだ」と。

経済界もこの「格上げ」には迷惑顔だ。「財閥が協力して、悪化する経済の実態を政治家たちに理解してもらおうとしていた矢先に…。タイミングが悪すぎる」



出典:JB press
「韓国格付け、日本を抜いたというものの…」

2012年9月19日水曜日

「原発ゼロ」に対応する原発3社


「東芝・日立・三菱重工」、この3社は世界有数の「原子力発電」プラント・メーカーだ。

日本では、ごく初期のものを除いて、すべての原発プラントがこの3社によって造られている。

しかし、日本が政策転換をした今、この3社は軌道修正を迫られることとなった。。



業界の幹部らによると、「国内でのビジネスの損失は、事業の軸足を『外国』に移すことで埋められる」という。

すでに東芝は、アメリカの原発メーカー「ウエスチング・ハウス」を54億ドル(4300億円)で買収しており(2006)、日立は「GE(ゼネラル・エレクトロニクス)」、三菱重工は「アレバ社(フランス)」とそれぞれ業務提携関係にある。

また、東芝が現在建設している原子炉は、すべて日本国外にある(アメリカと中国に4基ずつ)。しかし、トルコからの受注はリードを失った。それは、東京電力が手を引いたためだ。トルコなどの新興国では、プラントの建設のみならず、運転面での支援や金融面での支援などもセットになった「パッケージ取引」を求めてくるのである。



原発3社のうち、最も失うものが少ないのは「日立」だ。

日立の売上高は3社中最大であるにも関わらず、原発事業が売上に占める割合は3社中もっとも小さい。日立の売上全体のうち、原発の占める割合は2%にも満たない。一方の東芝や三菱重工は、この数字が10%にものぼる。



むしろ、日本のエネルギー方針転換は、日立の「追い風」となる可能性も高い。なぜなら、日立のエネルギー関連事業の売上高のうちの60%が「火力発電」であり、20%を再生可能エネルギーから得ている。原発は残りの20%を占めるにすぎない。

東芝と三菱重工も同様、天然ガス・タービンから太陽光パネル、風力発電タービンにいたるまで、「原子力に取って代わる発電技術」を数多く手がけている。これらの技術には今後、何十兆円もの新規投資が見込まれている。



東芝・日立・三菱重工、この3社は原子力がなくなっても、そう簡単には倒れない。多少、今までの目標が先送りにされるくらいだ(東芝は目標を2年繰り下げた)。

彼らの強みは、事業の多様性さにあるのである。事業バランスの見直しは今、急速に行われている。



出典:Financial Times
「『原発ゼロ』で対応を迫られる日本の原発メーカー」

2012年9月18日火曜日

スラムは「お荷物」か? 未開拓の巨大市場。


ケニアの首都ナイロビのすぐ近くには、「キベラ」というアフリカ最大級のスラム街が広がっている。そこに暮らす人は約100万人、首都ナイロビのおよそ5分の1もの人々がスラム街に暮らしていることになる。

しかし、ケニア政府はこのスラム街「キベラ」を「まるで存在しないかのように」振舞ってきた。土地利用地図を見ると、このスラム街は居住地区ではなく「森」と表示されている。

そのため、公共サービスは当然のように一切ない。そのため、スラムの住民たちは「飲み水」を手に入れるのに、普通の人の20倍ものお金を払わなければならない。



地球上の「7人に1人」は、こうしたスラム街、もしくは不法占拠地域に暮らしている(その数およそ8〜9億人)というが、こうした地域は、その国にとっての「お荷物」なのだろうか?

いや、そうとばかりも言い切れない。なにせ、ほとんどの新興経済国で「最も成長が期待できる」のは、じつはこの「闇の世界」なのである。今や、世界の労働人口の半数以上にあたる約18億人もの人々が、闇世界で生計を立てているのである。

「この地下経済の生み出す18億人という雇用は、どんな政府や世界企業にも創り出せないほど大規模なものである」



政府の損失は、この地下の巨大市場を「非合法」としているために、「課税」できないことである。闇の住人たちは、本当は正式な許可が欲しがっている人もたくさんいる。警察にビクビクしながら商売をするのは心地の良いものではない。

そもそも、闇経済というと麻薬取引のような「犯罪活動」を連想してしまうかもしれない。しかし実際は、「無認可の建設業や屋台の食べ物屋、インターネットで商品をせっせと売っているファッション・デザイナー」など、そのほとんどが「害のない仕事」をしているのである。

もし、その健全な部分だけでも「合法化」して課税すれば、それは政府にとって大きな収入ともなり得る。



ところが、たいがいの政府は非合法地域を認めないばかりか、強制排除という強硬手段に訴えてしまうこともしばしばである。ナイジェリアなどでは、住民の70〜80%が闇経済に関わっていると推定されている。それを追いだそうとするのは、いったい現実的な話なのであろうか。

ウィスコンシン大学で都市計画の教授を務めるモラレスは、「単に法を執行すれば良いという考え方から、『人々の分け前が増えるように、パイを大きくしよう』という考え方に変えていく必要がある」と言う。



忘れてはならないのは、今は大都市と化したサンフランシスコ(アメリカ)でさえ、150年前には「静かな漁村」だったということである。

コールド・ラッシュに沸き立ったサンフランシスコには、何千人もの「不法占拠者」が全米から押し寄せ、居座った。

サンフランシスコは、彼らを追い出そうとしたか? いや、逆に「合法」と認めて、彼らを力に変えたからこそ、今のサンフランシスコが存在するのである。






出典:日経サイエンス 2011年 12月号
「スラムの活力」

なぜ、都市部の住民は長生きなのか?


都市は、住民たちに「健康」をもたらすようだ。

世界の大都市、ニューヨークの住民の平均寿命は、全米平均よりも「1年以上長い」。



それは、なぜか?

高齢者がなぜ長生きなのかは判然としないが、「若年層」に限っては、その理由は明白だ。

35歳未満の若年層における主な死因は「交通事故と自殺」だが、都市部ではそのいずれもが極めて少ない。ニューヨークの交通事故による死亡率は、アメリカ全体に比べて「70%以上低い」。

一杯ひっかけた後に地下鉄に乗るのは、酔っ払って車を運転するよりも、ずっと安全だということか…。



出典:日経サイエンス 2011年 12月号
「都市の力 革新のエンジン」

韓国から「出る杭」を打とうとするヨーロッパ。自動車


今季上半期、ヨーロッパの自動車市場が7%も縮小したにも関わらず、韓国勢は同地域での販売台数を多いに伸ばした(現代12%増、起亜25%増)。

「韓国の現代と起亜は、フォルクスワーゲン(VW)と並んで、最も成功を収めている自動車メーカーの一つだ」



低迷するヨーロッパ市場でも勢いを落とさない韓国勢、その背中は、去年2011年7月に発効したFTA(自由貿易協定)に後押しされていた。

韓国車に対するEUの関税は、FTA締結前の10%から、現在は小型車で6.6%、中・大型車で4%に下がっており、2014には撤廃される予定になっている。



当然、ヨーロッパ国内では調子に乗った韓国勢に対する反発も起こっている。

「現代と起亜は、ダンピング(不当な安売り)という容認しがたい条件下で、ヨーロッパのメーカーと競争している」との声が、フランスから上がった。

ヨーロッパと韓国のFTA(自由貿易協定)には、関税引き下げ、もしくは関税の再導入という「切り札(セーフガード)」も残されている。それは「有害な輸入急増」が認められた場合だ。



ヨーロッパの反発に対する、韓国勢の弁はこうだ。

「『現代』はヨーロッパで販売される自動車の55%を現地で生産している。『起亜』の現地生産は60%だ」

彼らのいう「現地」とは、チェコやスロバキアのことなのだが…。残念ながら、チェコもスロバキアもEU加盟国ではない。



しかし、韓国とEU間のFTAを「利用」しているのは、韓国メーカーばかりではない。アメリカのGM(ジェネラル・モータース)も大量の自動車を「韓国」からヨーロッパに輸出している。

さらには、韓国勢に反発しているフランスのルノーも「韓国」から自国フランスに自動車を輸出している。しかも、その量は韓国の「現代」よりも多いのだ。



出典:Financial Times
「欧州の危機を謳歌する現代・起亜自動車」

2012年9月17日月曜日

都市のマジック。プラス15%の法則


都市は人口が多いほど、「分け前」も多い。

たとえば、ある都市の人口が2倍になると、その平均所得は2倍以上になるという。ボーナス的に「プラス15%」が加算されるのだ。この法則は、人口4万の都市が8万になろうが、その100倍の400万都市が800万になろうが、変わることなく機能する。

一方で、都市が必要とする資源やエネルギーに関しては、これと全く逆の法則が成り立つ。都市の人口が2倍になれば、インフラ設備(電気・水道・道路など)が2倍必要となるわけではない。それよりも「マイナス15%」少なくて済むのだ。



都市の人口が増えるほどに、生産性が増して収入が15%上乗せされ、その一方で出費は15%もカットできる。これが「都市マジック」だ。

さらに、人が集まるほどイノベーション(革新)も加速する。古くはプラトンとソクラテスが都市国家アテネに、ガリレオとミケランジェロはルネサンス期の都市フィレンツェに、そしてスティーブ・ジョブズとウォズニアックはシリコンバレーの大都市圏に暮らしていた。都市におけるイノベーションの加速は、特許出願数の増加となって現れる。



なぜ、都市ばかりが不思議な動きを見せるのか?

人口が増えれば、非効率なことは排除される力が働く。たとえば、高い家賃を払っているのなら、それに応じて価値の高いものを生み出す必要が生じる。その結果、収益性が高まれば、都市の価値が上がり、家賃はもっと高くなる。そうなれば、さらに相当の価値を生み出さなければならなくなる。

こうしたフィードバック・メカニズムが、都市の富、そしてイノベーションを常に「人口増加分プラス15%」に保ち続けるのである。



出典:日経サイエンス 2011年 12月号
「少ない資源から多くを生み出す都市」

北欧のスマートな自動車と自転車


ストックホルム(スウェーデンの首都)の道路料金の課金システムは、市の中心部に入ってくる自動車のナンバー・プレートをカメラが自動で認識し、どこに行くかに応じて、一日に60クローナ(670円)を上限に、運転者に通行料金を請求する。

このシステムの導入によって、自動車が都市中心部を通り抜ける際の待ち時間が最大50%削減され、そのお陰で汚染物質の排出量も最大15%減ったとされている。



また、コペンハーゲン(デンマークの首都)の自転車には、後輪に赤い円盤のようなものが取り付けられているのを目にする。これは「コペンハーゲン・ホイール」と呼ばれるもので、この赤い円盤を手持ちの自転車に取り付ければ、電動アシスト自転車に変えられるという優れモノである。

この赤いホイールはスマートフォンによって制御されており、気温や湿度、大気汚染度などを測定して、リアルタイムの環境データベースに送信される。




抜粋:日経サイエンス 2011年 12月号
「都市の力 進化するソーシャルネクサス」

都市、バンザイ


「村では女性が夫と親族に従い、雑穀を粉にひいて歌うのが全てだった(Whole earth discipline)」

そんな時代は今や昔、2008年に農村人口と都市人口の逆転が起こり、いまや世界の都市人口が総人口の半分を超えている。20世紀に入り、都市人口は2億5,000万人から28億人へと10倍以上に急増したのである。



かつて、アメリカの建国の父たちは、都市を「貧困と犯罪、環境汚染、不健康の中心」であると考えていた。しかし、それは本当か?

上下水道への投資の甲斐あって、先進諸国の都市は疫病の巣から健康の砦に変わった。自動車事故やピストル自殺による死亡リスクは都市生活者の方が低い。

ちなみに、世界10大都市域のランキングでは、ずっと日本の東京都市圏(人口3,670万人)が1位だ。



出典:日経サイエンス 2011年 12月号
「都市の力 知恵を生む場所」

戦火が止むや一転、ドンチャン騒ぎ。旅順攻防戦


日露開戦から初めての年明けとなった明治38年(1905年)1月1日、旅順の二竜山堡塁を占領した第九師団は、さらに望台の占領を企てた。一戸兵団と前田兵団は左右両翼より山頂に突撃、雄叫びを上げながら駆け上がった。

午後3時40分、敵影は完全に消える。占領した望台から見下ろせば、旅順の旧市街はまるで足元にあるかのような近さに見えた。そして、午後4時、白旗を持ったロシア・マルチェンコ少尉が休戦の申し入れにやって来る。

それを受けて、乃木希典は全軍に戦闘中止を命令。こうして155日間にわたった旅順攻防戦は、ようやくその幕を下ろすこととなった。



ここで特筆すべきは、戦火が止んですぐに「兵士交歓(フラターニティ)」が行われたことである。旅順の旧市街からは将校夫人とおぼしきロシア女性が現れ、日本軍の豪の者たちも旧市街へと繰り出し、酒食の歓待を受けたという。

ちなみに、のちの第一次世界大戦でも、交戦中の敵味方であったドイツ・イギリス両軍の兵士が、クリスマスの時にはサッカー遊びに興じている。



乃木は明治天皇の親裁を得て、「将校に帯剣を許す」という寛大な措置をとっている。しかしその陰で、乃木は将兵の死を悼んで、静かに嗚咽していたという…。



出典:歴史人歴史人 2012年 01月号
「屍の戦場! 旅順要塞と二〇三高地攻略」

幻と消えた名将・乃木の築城作戦。旅順(日露戦争)


時は日露戦争。当初、「封じ込め」で十分とされた旅順だが、日本海軍がロシアの旅順艦隊を仕留め損なったことにより、日本陸軍は是が非でも旅順を攻め落とすことを強いられることとなった。

日清戦争において、乃木希典率いる日本陸軍は旅順をわずか一日で落としている。しかし、ロシアの手に渡っていた旅順は、その頃からは一変、ベルギーの工兵総監・ブリアルモンの思想に基づいた近代要塞に造り替えられており、その堡塁は、固焼きレンガをベトン(コンクリート)で塗り固められた堅牢さを誇っていた。



第一回の総攻撃は7日間で死者5,000人以上を出して中止となった。この失敗により、乃木希典は旅順要塞を短期的に攻略する無理を悟った。しかしそれでも、日本にある参謀本部は乃木に強襲を迫る。それは参謀本部がロシア軍の兵力を3万程度と過小評価していたこともあった(実際には、その倍以上の6万3,000のロシア兵が旅順に籠っていた)。

当時最強とされたのは「歩兵による突撃」。前列の屍を乗り越えてでも敵陣に迫るという過酷なる戦法だ。この突撃で兵力の消耗を抑えるためには、突撃を始める地点をできるだけ敵陣の近くに寄せて、敵弾にさらされる距離を極力短くしなければならない。



そこで乃木は、敵陣の堡塁にできるだけ接近したところに塹壕を掘るという「築上作戦」を命じる。この塹壕を設計したのはドイツで要塞戦術を学んだ参謀・井上幾太郎。その塹壕は持久性と宿泊性を兼ね備えたものだった。

こういった突撃基地を目的とした塹壕は、日露戦争から10年後に勃発する第一次世界大戦中に広く用いられ、「プラッツダルメー」と呼ばれるようになる。つまり、乃木の作戦は、時代の一歩先を行く先進的なものだったのである。



それゆえ、ロシアのレーニンは、乃木をして「大きな損害を出しながらも戦術を転換できた名将」とまで賞している。

しかし悲しいかな。参謀本部はしきりに旅順攻略を乃木に急がせる。そのため、乃木には十分な塹壕を掘っている時間がなく、塹壕は主要2ヶ所(東鶏冠山と二〇三高地)にしか築けなかった。

結局、乃木の華麗なる戦術転換は、再びもとの突撃タイプへと戻され、3回にわたる総攻撃で1万6,000人にも及ぶ戦死者を出すことになってしまう…。





出典:歴史人 2012年 01月号
「屍の戦場! 旅順要塞と二〇三高地攻略」

神速で28サンチ砲を設営した男。有坂成章


「おい長岡君、今の砲口ではとても『旅順要塞』は落ちない。『二十八サンチ榴弾砲』をやろうではないか」

参謀次長・長岡外史に、有坂成章はそう話しかけた。その目標は、日露戦争における最大の激戦地・旅順要塞である。



有坂は大口径砲でロシア軍の兵舎を貫通することを考えていた。28サンチ砲というのは、海岸などに常設される巨大砲であった。それに使用される砲弾は「堅鉄弾(けんてつだん)」と呼ばれる徹甲弾。これは主に艦船を撃沈するためのものだ。

この「堅鉄弾」は無筋コンクリートであれば1.8mを貫通する。対する旅順要塞の防壁は無筋コンクリート換算で1mほどの厚さ。有坂の計算ではギリギリ貫通できると見ていた。


しかし、28サンチ砲というのは海岸砲として設計されていたために、野戦での移動などは考慮されていなかった。たとえ移動させたとて、巨砲発射に耐えられるようなコンクリートの強固な砲台が不可欠であった。

当時のコンクリートは乾燥に3ヶ月を要する。「神速」の攻撃を迫られていた旅順攻略戦において、この長期間はおよそ非現実的であった。



ところが、有坂は「多方面の天才」。要塞も設計すれば、歩兵銃から野砲、砲台まで手がけた経験があった。有坂が目をつけていたのは、当時最新のポルトランド・セメント。これを用いれば、「1ヶ月」で28サンチ砲が設営可能と読んだ。

計画は有坂の目論見どおり。首尾よく移動、設置。参謀次長・長岡外史に話を持ちかけてから、本当にわずか1ヶ月で砲撃を開始できるまでに仕立てあげてしまった(9月末)。

小説「坂の上の雲」においては、この28サンチ砲は児玉源太郎の献策とされているが、その実働を担ったのは、最前線にあった有坂成章、その人であった。むしろ、児玉は当初、二〇三高地への攻撃にも否定的であり、海軍から要請されていた28サンチ砲の建設にも反論していた。



児玉が二〇三高地を確保すべきだと方針転換するのは、実際に旅順に立ってからのことらしい(11月末)。28サンチ砲は、その2ヶ月も前にすでに設置され、二〇三高地への砲撃を開始していたのである。

28サンチ砲を盛んにブッ放しても、二〇三高地は2ヶ月以上も落ちなかった。児玉は28サンチ砲の前進を命じたというが、それは怪しい。児玉が到着して1週間もせずして二〇三高地は落ちるのである。いくらポルトランド・セメントが早く乾くとはいえ、その移動に最低でも一ヶ月はかかるはずである。



そして、28サンチ砲だけが二〇三高地奪取への特効薬ではなかったのと同様、二〇三高地占領は旅順陥落を意味しなかった。激しい戦闘は二〇三高地占領後、およそ一ヶ月も続くのである(二〇三高地陥落以降の日本の戦死者は2,400名にも達する)。

小説の世界では、28サンチ砲が簡単に旅順を落としたような印象を受けるものの、現実の戦闘は、もっともっと血生臭いものであったようである…。





出典:歴史人歴史人 2012年 01月号
「屍の戦場! 旅順要塞と二〇三高地攻略」



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2012年9月16日日曜日

冷徹なる作戦、歩兵隊による銃剣突撃


日露戦争当時の日本兵は、肩が触れ合うほどに近い前後三歩に密集して、銃剣突撃を敢行したのだという。

当然、前を行く将兵は敵弾に倒れる。それでも、敵兵が次の銃弾を発射してくるまでには多少の時間が稼げる。それまでに敵陣に殺到できれば陣地を崩せる。そんな「冷徹な計算」に基づいていた。

当時、いずれの国のマニュアルもこのように冷徹な思想に立脚しており、「密集歩兵による突破力が最強だ」と信じられていた。なぜなら、馬に乗った騎兵が小銃の前に無力だと判明して以来、他に方法がなかったのである。



抜粋:歴史人 2012年 01月号
「屍の戦場! 旅順要塞と二〇三高地攻略」

「聞くだけ」ではなく、「演奏」を。脳の訓練


子供たちは「楽器」を熱心に練習すると、学業成績も良くなるかもしれない。

「タイガー・マザー」の著者であるチュアは、バイオリンとピアノを娘たちに毎日何時間も練習させたという。楽器の練習が注意力と作動記憶、自己コントロール力を高めるためだという。

ノースウェスタン大学のクラウスは、脳波データを用いた研究により、音楽の練習が生徒たちに「聞き上手」になることを示した。音楽の訓練を受けた人々は、教室などザワザワと騒々しい環境でも、話を抽出して聞くことができる。これは、音楽家がそうでない人よりも音をクリアに知覚できるのと同じである。



また、クラウスの別の研究では、「脳トレゲーム」よりも「ギター」が有益であることも示した。「ギターを演奏するには、曲を覚え、辛い練習を重ねて、何度も何度も再現を試みる必要がある」。

数年前、モーツアルトを聞かせるだけで乳幼児の知能を伸ばすというブームがあったが、それは最新の研究では否定されている。「何らかの効果を上げるには、実際に楽器を演奏して脳を鍛える必要がある」とクラウスは言う。

「演奏を練習すればするほど、音の微妙な違いを区別する能力が磨かれるのであって、聞くだけでは不十分だ」とのことである。



出典:日経サイエンス 2011年 12月号
「脳科学が教える 学び上手にする方法」

「左脳タイプ」、「右脳タイプ」はいない?


脳にまつわる神話

「左脳タイプ」と「右脳タイプ」がいる。



左脳は「論理的思考(言語)」に、右脳は「直感や芸術(空間能力や感情表現)」に使われるという主張は「作り話」だ。

脳画像研究においては、右半球(右脳)が創造活動の中枢だという証拠は得られていない。そして、脳は読字と計算なども含め、あらゆる認知機能において、左右両方の脳半球を使っている。

右脳・左脳を分けて考えたがるのは「心理学者」であったり、「教育者」であったりするだけで、決して科学者ではない。



出典:日経サイエンス 2011年 12月号
「それって本当? 脳にまつわる5つの神話」

人命の犠牲をともなうエネルギー生産


過去30年間における「発電にともなう死者数」をみると、先進国では「石炭」利用にともなう被害が最も大きい。とくに「採掘段階」が最も危険だ。石油と天然ガスでは、事故の大半が「配送段階」で起こっている。原子力では「発電段階」のリスクが大きい。



年間発電1億kWあたりの死者数(生産段階)

石炭………12.00人
石油………9.37人
天然ガス…7.19人
原子力……0.73人
水力………0.27人
風力………0.19人
太陽電池…0.02人

スイス、パウル・シェラー研究所調べ



しかし、人的被害で最も大きな部分を占めるのは、直接的な「事故」ではなく、より間接的な「環境汚染」によるものだという。たとえば、化石燃料を燃やす発電所から排出される「微粒子」による大気汚染は、深刻な健康被害をもたらしている。

肺炎(入院件数) 4,040
心血管障害(入院件数) 9,720
早死に 3万100
急性気管支炎 5万9,000
慢性気管支炎 60万3,000
仕事の欠勤 513万

以上、アメリカにおける1年あたりの平均件数。



出典:日経サイエンス 2011年 12月号
「エネルギーに伴う人的犠牲」



祖父母に栄えた人類は、祖父母に耐えられるのか?


クラピネ遺跡(クロアチア)から発掘された「ネアンデルタール人」で、30年以上生きた者は皆無だったという。また、シマデロスウエソス遺跡(スペイン)においても、35歳以上生きた個体はマレであった(歯の摩耗具合をもとに推定)。

ネアンデルタール人すべての寿命が30歳前後だったかどうかは不確かにせよ、その寿命は現生人類よりもはるかに短かったことが推測されている。

もし、15歳で子どもを産むとしても、その親が祖父母になるのは30歳。そう考えると、少なくとも30歳以上まで生きなければ、子・親・祖父母の3世代は揃わない。つまり、30歳以上まで生きるのがマレだったネアンデルタール人たちには、「祖父母があまりいなかった」と考えられる(成人10人に対して、祖父母は半分以下の4人)。



一方、ヨーロッパにいた現生人類はネアンデルタール人よりも長寿であり、成人10人につき、祖父母層はその倍の20人は存在したと推定されている。つまり、我々現生人類は3万年ほど前から、「祖父母」という家族形態をとっていたと考えられるのである。これは動物界では極めて異例のことである。なぜなら、普通の動物は次世代を生み育てれば、親世代は死ぬのだから。

そして、その祖父母たちの知恵や伝承が、さらに現生人類の寿命を伸ばしたとも推測される。この長寿命化(高齢化)の好循環は現生人類の人口増をもたらしたであろうから、今の繁栄の礎にもなったものと思われる。

ところが現在、凄まじいまでのスピードで進んだ高齢化は、人類にとっての重い負担ともなりはじめており、かつての好循環は悪循環ともなりつつある。しかしまあ、高齢化により栄えた人類が、その高齢化で衰えようとしているのは、なんとも皮肉な因果ではあるまいか。



出典:日経サイエンス 2011年 12月号
「祖父母がもたらした社会の進化」

自由とは、「自らを由(よし)とすること」



小さな子供が三人もいれば、自分の時間など一分たりともありません。私は生まれて初めて、自分の力ではどうにもならないことがあることを知りました。

「自由とは何だろう?」と、何度も声にならない雄叫びをあげました。そして、気づきました。

自由とは、欲するままに行動することではないのだと。自由とは「自らを由(よし)とすること」なのだと。



私は心がまったく身動き取れず、暗闇の中で模索した時期を経て、自由の本質に気づかせてもらいました。これは、自分のやりたいことを一度すべて手放したからこそ、見えた境地なのではないかと感じています。

かく言う私も、心より知、受容より競争に明け暮れた時代がありました。今、我が子らに願うことは、決して知恵や知識をたくさん身につけ、他人に勝って欲しいということではありません。





抜粋:致知2012年10月号
「人も企業も幸せに導く天地の法則」北山邦子

2012年9月15日土曜日

数学は「発明」されたのか、それとも「発見」されたのか?


もし、この世の「知性」が人間ではなく、「太平洋の深くにたった一匹で漂っているクラゲ」に宿っていたとしたら?

はたして「数の概念」が生まれ得たであろうか。数える対象ももたぬクラゲの知性に…。





このクラゲの”たとえ”は、「数学は『発明』されたのか、『発見』されたのか」という問いに基づくものである。人類は数千年間もこの問いの答えを見いだせずにいる。

「発明」となれば、「数」は人間が生み出した「道具」となるし、「発見」となれば、「数」は人間とは関わりのない「独立した存在」、言うなれば「神がつくり給うたもの」となる。



少なくとも、数学は人間の「経験」とは独立した「思考の産物」であると言うことはできる。数それ自体が実体を持つわけでもなければ、触れるものでもない。しかしそれでも、数学は現実世界を簡明かつ正確に表現する。

たとえば、量子電磁力学を用いて計算した電子の磁気モーメントの「理論値」は、最新技術によって「実験的に測定した値」と、1兆分のいくつというわずかな違いで一致していた(1.99115965218073)。

また、古い例をあげれば、スコットランドの物理学者・マクスウェルが書いた4本の方程式は、電波の存在を「予測」していた(1860年代)。実際に電波が検出されるのは、それから20年近くも後の話である。

なんと数学の記述する世界の正確なことか。「これほどうまく合致するのは、なぜなのか?」と、かのアインシュタインも頭を悩ませている。





「数学は発明なのか、発見なのか」

はたして深海の一匹のクラゲは、何かを数えようとするのであろうか?



ここで一つ注意しておくべきことは、たとえ数学がいかほど正確に世界を記述しようとも、まだまだ「数学的予測」が不可能な現実が山ほどあるという事実である。

たとえば、経済学では多くの変数を定量解析することに失敗している。もし、これが成功していたら、世界に景気後退などなくなるはずなのだから…。



しかし、逆に考えれば、数学に「限界がある」ということは、これは人間の「発明」に近いのかもしれない。ヒューマン・エラーは我々人間の得意とするところである。

まあ、ただ単に我々人間が「知らない変数」がまだまだたくさんあるだけの話かもしれないが…。そうであるのなら、我々はまだまだ「発見」する必要がありそうだ。





出典:日経サイエンス 2011年 12月号
「数学が世界を説明する日」

江戸の庶民の「のべつまくなし食い」


江戸の庶民は「のべつまくなし食い」だったという。

一日三食はおろか、「小昼やらおやつ、虫養い、虫押え」といっては、しょっちゅう食べてばかりいたのだとか。



そんな食べてばかりの江戸の庶民に重宝されたのが、「そば屋」。

「昼も夜も、出前でも店内でも、立ち食いでも」、そばはいつでも江戸の華だったのだそうな。



出典:歴史街道 2012年 09月号
「江戸の料理 再現づくし1 ぶっかけそば」

いざという時の「彦根城」


江戸時代以前に築かれた「天守」で現存するのは全国に12基。そのうち国宝となっているのは4基で、「彦根城」はその一つだ。三重三階の天守は、徳川譜代の大藩の城郭にふさわしい優雅な雰囲気を漂わせている。

牛蒡(ごぼう)積みの石垣の上にたつ彦根城。牛蒡積みは野面積みの一種で、細長い石を差し込むようにして積み上げられている。見えている石の面積は小さいけれども奥が深く、非常に堅牢なのだという。



小高い山の上にある彦根城の天守は、遠くからでも眺められるが、防御上の配慮からか、近づくにしたがって見えにくくなる。江戸初期、「大阪城への抑え」として築かれたこともあり、その天守も大手門も大阪の方を向いている(表門だけは江戸の向き)。

じつは彦根藩主、いざという時には「京都の天皇を彦根に移す」という密命を、幕府から受けていた。常備されていた120艘の御用船は、その時のためのものだったという。

今、彦根城の屋形船は観光客用の「舟遊び」の足として、毎日忙しいとのことである。



出典:歴史街道 2012年 09月号
「彦根城」

義に厚く、潔かった「松本重太郎」

「東の渋沢栄一、西の松本重太郎」とまで言われた「松本重太郎」。

幕末に独立し、西南戦争(1877)で軍服をつくるためのラシャを大量に売りさばき、巨額の利益をつかんだ男。彼が面白いのは、大成功を収めたときに「これはマグレだ」と本気で思っていたところだ。



以後、9つの私鉄に関わったことから、「日本の私鉄王」とも呼ばれるようになる。ここに一つの逸話がある。それは関西鉄道と大阪鉄道が合併しようとした時の話。

両者は金額面で折り合いがつかない。そこには10万円の差があった。そこで仲介にでた重太郎、「双方が5万円づつ譲歩しろ」と持ちかける。しかし、どちらも呑まない。

すると重太郎、ポンと10万円の小切手を両者の前に置いた。双方が慌てて「これは受け取れない」と言うも、重太郎は「お互いが譲らないのであれば、私が払う。このまま帰してしてまっては、仲介を引き受けた者として面目が立たない」と述べたという。



この義侠心は、のちに銀行家として「致命的な欠陥」ともなった。その最悪の結果が、第百三十銀行の破綻であった(1904)。

時は日露戦争の真っ只中、国内の金融不安を避けるために、日本政府はその再建に切れ者の銀行家・安田善次郎を差し向ける。

すると重太郎、「悉皆(しっかい)出します」と言って、全財産をそっくり差し出すや、そのまま実業界を去ってしまった。さらに、ついていた役職もすべて辞任(当時・61歳)。未練を微塵も感じさせない、なんと潔い責任の取り方であろうか。



こうして全財産を失い、借家が終(つい)の棲家となった重太郎、70歳で静かに息を引きとる。

葬儀においては、棺の後に従って、2kmも3kmも重太郎を慕う人々の列が連なっていたという。義に厚く、潔かったその人物の死は、多くの人々から惜しまれたのであった…。



出典:歴史街道 2012年 09月号
「松本重太郎と南海鉄道」

戦国時代の密室劇「清須会議」


「柴田勝家は僕にはあまり『感覚派すぎる』ように感じられましたし、羽柴秀吉はあまりにも『陰謀的すぎる』。丹羽長秀の『知識人としての苦悩』が、僕自身には一番フィットしました」

脚本家として、劇作家として、そして映画監督として八面六臂の活躍を続けている「三谷幸喜」氏が手がける、初の歴史小説「清須会議」。

「ただし実際に書いてみて、一番筆が進んだのは秀吉です。もともと勝者よりも敗者に感情移入する質(たち)なので、秀吉にはあまり興味がなかったのですが、この人物は掘り下げれば掘り下げるほど面白かった」



出典:歴史街道 2012年 09月号
「肖像画に描かれた武将たちが、本当はどう語ったのだろう? 三谷幸喜」

なぜ、ハワイのマウナケア山は「世界一高い」のか?

太平洋に浮かぶ熱帯の島・ハワイにありながら、山頂で雪が降る巨大火山。ハワイの人々はこの山を「マウナケア(白き山)」と呼んだ。マウナケア山の標高は4,205mだが、海中部分を含めれば高さ9,966m、「世界一高い山」となる。

エベレストの山頂が8850mと、地球上でもっとも高い位置にあることに疑いはないが、「山体の大きさ」となるとマウナケア山には敵わない。

エベレストはヒマラヤ山脈という巨大な山脈に乗っかていることもあり、山麓から山頂までの高さは3,000m強にすぎない。一方、マウナケア山の山麓は水深5,760mほどの海底にあり、山体としての大きさは9,966mにも及ぶのである。



出典:NATIONAL GEOGRAPHIC (ナショナル ジオグラフィック) 日本版 2012年 09月号
「ハワイ島マウナケア 太平洋にそびえる“世界一高い山”」