坐相(ざそう)というのは、武士や僧や公家を問わず、一生の大事であり、日々の修養の賜物である。
坐ったときの姿勢作りに、品格や人徳までもが自ずから滲み出る、というのが一般的な所作挙動における発想だが、春海が見たのは、およそ信じ難い姿だった。
不動でいて重みが見えず、「地面の上に浮いている」とでも言うほかない様相である。
あたかも水面(みなも)に映る月影を見るがごときで、触れれば届くような親密な距離感を醸しながら、それでもなお水面の月を人の手で押し遣ることは叶わないことを思い起こさせる。
会津藩主「保科正之」の坐相(ざそう)の描写
引用:天地明察(冲方丁)
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