アフリカ・ウガンダのお母さんたちは「おむつ」を使わないという。
それを不思議に思った井深大氏、こう聞いた。
「どうして、赤ちゃんがウンチやオシッコをする前に分かるんですか?」
ウガンダのお母さんたちの答えは、じつに素っ気なかった。
「どうして、あなたには分からないの?」
母親と赤子が「密」な、同地のような育てられ方をした赤ちゃんは、「発達がすごく早い」のだという。
「生後2日で首がすわり、生後4日でニコニコ笑うんです」
今の医学では、生後2日で首がすわることも、生後4日で赤ちゃんが笑うなんてことも「あり得ない」。
たとえ、赤ちゃんの顔が笑っているように見えたとしても、それは「新生児微笑」にすぎないと一蹴されてしまう。西洋医学の言う新生児微笑とは、赤ちゃんが母親に捨てられないように、そう装っていることなのだそうだ。
さて、アフリカのウガンダも、すでに西洋の波に洗われている。
彼女らが西洋式の病院でお産をするようになると、これまた不思議なことに、赤ちゃんのウンチもオシッコも、そのタイミングが分からなくなるのだそうだ。
もちろん、生後2日で首がすわることも、生後4日でニコニコ笑うこともなくなったという。
ところ変わって「日本」。
日本の子育ても1945年、つまり第二次世界大戦を境に、激変を遂げたのだという。
戦後、アメリカのGHQの司令で、赤ちゃんは産後すぐに病院の新生児室に移すようになった。それは、戦前の日本では、ほとんどが自宅出産だったため、母子ともに死亡率が高かったからだ。
さらに昭和39年(1964)、赤ちゃんの自立を妨げるからという理由から、「泣いてもすぐに抱っこしてはいけません。添い寝もオッパイもやめましょう」ということになった。
要するに、戦後の日本の子育ては「赤ちゃんとお母さんを切り離す方向」に動いていったのである。
「赤ちゃんに心があるとしたら、きっと寂しかったろうと思います…」と、池川明氏(池川クリニック院長)は語る。
なぜ、そうした時代に生まれ育った世代は、すぐにキレるのか? 情緒が不安定なのか?
そうした疑問が国内に巻き起こるにつれ、「母子を切り離す育児法」は20年後、ついに改められることになる(その時の常識は、いまなお尾を引いているのだが…)。
ちなみに、戦後の育児法には、その「元本」があった。
それは「スポック博士の育児書」である。ここには西洋式の育児法のなんたるかが記されており、当然、抱っこも添い寝も否定していた。
その本を戦後の日本は鵜呑みにして、母子手帳の副読本「赤ちゃん、そのしあわせのために」を作成したのである。それが20年間、毎年全国で150万部が配布され、母子をできるだけ切り離す「育児の新常識」を形作っていったのであった。
この話には、まだ後日譚が残っている。
スポック博士は、著書「スポック博士の育児書」を書き上げたあと、じつは博士自らの手で7回も書き換えている。
最後の書き換えを終えた博士は、こう言った。「今まで書いてきたことは間違っていた。今回ようやく、それを正す本ができた」と。
7回書き換えられたという「スポック博士の育児書」。
しかし残念ながら、その初版を元にしている日本の母子手帳の副読本「赤ちゃん、そのしあわせのために」は、一度も書き換えられることがなかった…。
蛇足ながら、先日の「ダライ・ラマ法王」の話も。
来日した際に、持ち上がった議論の一つに「花に心はあるか?」というものがあった。
仏教と一口にいえど、時代と環境で大きく変わってしまっている。その結果、「花に心がある」とするのは日本の仏教だけのようであった。
古来より、日本民族は万物に神が宿る、ひいては「万物に心がある」との思想をもっている。
何もしゃべれぬ赤ちゃん然り、お腹にいる胎児も然り。日本人はそこにすでに心が宿っていると思ってきた。
しかしグローバル化の進んだ現代、「胎内にいた頃の記憶」などという話は、否定的な目で見られてしまう。
「パパがおへそをツンツンしてきたんだよ」などという子供の言葉は、冷笑ものである。それは西洋医学で証明されていないからである。
しかし幸か不幸か、そうした妄言を否定する科学的根拠も、またないのであった…。
出典:致知2013年4月号
「胎内記憶に耳を澄ます 池川明・村上和雄」
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