戦後の「壊滅的な敗戦」。
そのドン底から這い上がる「奇跡的な発展」に、日本の「政治」は大きく貢献していた(今では考えられないかもしれないが…)。
「世界でも稀に輩出するような『立派なリーダーの群像』が戦後を彩った(島田晴雄)」
吉田茂、日本の独立を成したあとの彼は、「朝鮮戦争に参加しない」という奇跡を演じてみせた。
アメリカから派兵の圧力が重くのしかかる中、吉田首相は「共産化への危惧」を盾に、朝鮮戦争への日本の不参加をアメリカに承服させたのである。
「それが戦後の平和日本の礎になった(島田晴雄)」
岸信介、彼の「安保改定」は国内では著しい不評を買ったものの、それは偉大な業績であった。
吉田総理が結んだ日米安保は、「植民地安保」とも揶揄されるほどに隷属的、そして屈辱的なものであった。ゆえに、岸総理は「この不平等を何とか変えたい」と願ったのである。
その不平等条約を是正するため、岸総理はアジア諸国、オーストラリアやニュージーランドを歴訪。賠償を確約していった。「ニュージランドでの謝罪演説では、スタンディング・オベーションが起きたとさえ言われる(島田晴雄)」
こうした「海外諸国の信頼」という成果とともにアメリカはワシントンに赴いた岸総理。安保改定の提案を行い、苦労の末に「対等に近い安保条約」を結ぶに至るのである。
その後、池田勇人総理が所得倍増計画を前倒しで達成すると、佐藤栄作総理のときに日本はOECD(経済開発協力機構)への加盟を果たす。つまり「先進国」の仲間入りをしたのである。
同佐藤総理は「沖縄返還」をも達成。田中角栄総理は、大戦後に断絶していた「日中国交」の正常化に成功する。
まさに、戦後の日本政治は「世界でも稀に輩出するような立派なリーダーの群像」に彩られていたのであった。
こうした卓抜したリーダーを支えたのは、「世界最強のシンクタンク」と言われた優秀な官僚集団である。
さらに当時の自民党は、多数の政党が入り乱れて成立していた経緯をもつため、「それらが常に内部で切磋琢磨し、政治力が磨かれた(島田晴雄)」。
政治・官僚・業界、これらの織りなす「鉄のトライアングル」。通常予算の倍以上もある特別会計は、このトライアングルを不動もののとしていた。
しかし、あまりに不動であったため、そこに安住してしまった自民党。
「そこから自民党の趨勢的凋落がはじまった(島田晴雄)」
自民党の得票数は続落。単独過半数は遠のき、公明との連立も不可欠に。
「6割が世襲議員で、政治は利権化し、新しい血が入らない(島田晴雄)」
現在の日本の低空飛行、それは「政治と官僚の劣化」が原因である、と島田氏は述べる。
過ぎ去りし英雄の群像たち…。
叩かれても叩かれても潰れなかった彼らであるが、悠久の歴史の中にあっては蜉蝣(かげろう)のように儚い。
先人たちの言う通り、不幸のタネは幸運な時に撒かれるものなのであろうか…。
出典:盛衰 島田晴雄
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