エジプトの首都カイロには「死人の町」がある。
それは、大理石造りの霊廟が並ぶイスラムの墓地に、行き場のない人々が住み着いてできた「スラム街(貧民街)」のことだ。
その路地を歩いていた「西水美恵子(にしみず・みえこ)」さん。
疲れ切った様子の女性が目に留まる。その女性の細い腕には、病気の幼子が抱えられていた。
その子を抱き取った西水さんは、「その子のあまりの軽さ」に言葉を失う…。
「ナディア」という名のその女の子。
それから間もなく、西水さんの腕の中で息を引き取る…。
「すーっと魂が抜けて軽くなるようなあの感覚は、いまも身体が覚えています…」と西水さん。
死因は、下痢からくる脱水症状だった。それは、もし安全な飲み水があれば、十分に防げるはずの症状。しかし貧民街では、それすらもままならない。
その「死人の町」からは、首都カイロの高級マンション群が一望される。
ナディアが天に召されたのは、ちょうど夕暮れ時。高級マンションにはキラキラと煌めくシャンデリアが映り、その下の道には黒塗りの高級車が行き交っていた…。
その貧富の凄まじいギャップに、西水さんは「一瞬、気が狂った」。
「天に向かって何かを叫んだ記憶はあるのですが…、実際なにを言ったのかは全然記憶にありません。ぶつけようのない怒り。凄い怒りでした」と、彼女は回想する。
この時の出来事が、西水さんを「世界銀行」という道に押し進めた。
「衝撃的な体験をしてしまった私には、またプリンストン大学に戻って、裕福な家庭の子女たちに経済学を教えることはもうできないと思ったのです。『世界銀行の一員として、貧困と闘うのが自分の使命だ』と覚悟を決めました」と西水さん。
そもそも世界銀行というのは、第二次世界大戦後につくられたものであり、その目的は世界がふたたび経済危機に陥るようなことがないように、戦後復興と経済発展に尽力するための機関であった。
同時につくられた国際機関にIMF(国際通貨基金)というものもあるが、この両者の役割はまるで異なる。
「IMF(国際通貨基金)は、強いて言えば『外科医』です。世界各国の動向を見極め、もし危機的な状況が起きればすぐに介入する。言ってみれば、ガン細胞を切り取るようなことです」と西水さん。
「一方、世界銀行は『地域診療所』だと考えてください。国家経済が重い病に陥ることがないように、国の構造的な問題の解決に向けて提言し、長期改革を支援していく。それが世銀の主な役割です」
その世銀(世界銀行)で、西水さんは様々な国や地域と関わってきた。入行から17年目(1997)には、南アジア地域担当「副総裁」の任も拝命する。
そんな西水さんに、あるNGO団体の人間が声をかけた。「貧困はそこに一度でも住んでみなければ分かりませんよ」と。
世銀の副総裁が、着の身着のままで途上国の貧しい家にホームステイ。
「そんなことをしたのは、私が初めてでした」と西水さん。
そして知った。「十何年間も貧困解消と声高に叫びながら、何も分かっていなかったことを…」。
そのホームステイ先の貧困家庭は、人間が生を営む場所とは到底思えなかった。
「動物のように、ただ身体を生かしているだけ。生きながらえるための生活を、とにかく死ぬまで続けなければならなかったのです」と西水さんは眉を曇らせる。
2003年に世界銀行を退職することになるまで、西水さんは23年間、その職を全うした。世界の貧困に体当たりで挑みながら…。
そもそも、彼女が狭い日本から世界へと飛び出したのは、「女性は幸せな結婚が一番だ」という考え方を受け入れることができなかったからだという。それは彼女がまだ高校生の頃だった。
そして現在、はたして世界は変わったのか? 貧困は?
世銀を退いても、西水さんの仕事には限りがなさそうである…。
出典:致知2013年4月号
「挑み続ける世界の貧困問題 西水美恵子」
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