「『改暦』による世の影響を考察せよ」
それは会津藩主・保科正之(ほしな・まさゆき)からの要請であった。
そして、それを受けたのは、「改暦」の陣頭指揮を執ることを命じられていた渋川春海(しぶかわ・しゅんかい)である。
「適用されるものが、その後、世にいかなる影響を与えるかを出来る限り予測した上で、最善の導入の算段を整える。それが保科正之の非凡な知恵であり、基本的な政治姿勢だった」
たとえば、安易に受け入れてしまったキリスト教は、のちに対立が生じ、ついには全面的な拒絶となって、禁教令が発布されるに至ってしまう。
鉄砲や大砲も然り。ろくろく考えずに大量生産へと踏み切ったわけだが、江戸の泰平が訪れると、「もう鉄砲は作るな」と幕府自らが指導する始末(まったく功を奏していないが…)。
では、もし「暦を改める」という改暦が成された場合、「世にいかなる影響を与えるのか?」。
それが、非凡なる保科正之の求めた問いであった。
「悪い影響のことなど念頭に置きたくもなかった春海だが、良い影響も悪い影響もことごとく列挙せねばならない」
やがてその作業が進むうち、春海は「改暦」という一事が「空恐ろしいほどの影響力を発揮する事業」であることを知り、呆然となる。
◎宗教統制
まず、幕府という「武家」が改暦を断行すれば、天皇から「観象授時」の権限を奪うことになる。
天意を読み解くことは、古来より「王の職務」であり「宗教的権威そのもの」。
「これがほぼ幕府のものとなり、天皇が執り行う儀礼の日取りを、一日単位、一刻単位で支配するということになる」
天皇の儀礼ばかりではない。
「日を決する」ということは、陰陽師の働きをも完全に統制することを意味した。
陰陽思想においては「方違え(かたたがえ)」という吉凶の考えがいまだに根強く、その方角を決するのは「日」なのであった。
「それをことごとく塗り替えるだけでなく、幕府のものとして全国に適用することになる」
◎時と方角
天皇と朝廷から「時と方角」を定める権限を奪って、それを将軍のものとする。
「これだけで春海は恐怖を感じた。まさかとは思うが、戦にまで発展するのではないか…?」
比叡山を焼いた、かの織田信長ですら、宗教者たちに帰順を強要しこそすれ、その権威を我がものとはしなかった。
ところが、「時と方角」を幕府が支配するとなれば、それは幕府が宗教的権威の筆頭に立つことと同意であった。
改暦は「朝廷の権威を低め、その分を幕府がことごとく奪い去る」ことになるのだから…。
◎政治統制
江戸時代当時、政治と宗教は紙一重。
「公文書における日付の重要性は、文芸書の比ではない。幕府の定めた暦日に倣わぬ公文書を作成したというだけで処罰の対象となりうる」
そんな甚大な支配権も、幕府が握ることになる。
「全国の大名たちが、この挙を見てなんと思うか?」
諸藩が抱く反感はいかなるものか。
「全国に熾烈な反幕感情を巻き起こすのではないか?」
たかが暦、しかし考えるほどに、春海は漠然とした不安を抱かざるを得ない。
公家の反応は?
「とんでもない反発の嵐になるのではないか。想像するだに怖かった」
◎経済統制
だが、春海が本当に恐ろしいと思ったのは、最後の「経済統制」という側面だった。
「もし、全国の日本人が頒暦を幕府から買ったとしたら?」
試しに春海は、頒暦を一部四分として計算してみた。
それは単純計算にすぎない。全国の大名が幕府に報告する人口にも誤差がある。それらを承知で春海はいろいろな計算を試みた。
「目を剥いて言葉を失うほどの、莫大な利益」
最低でも数十万両…。その額、単純な石高に換算して、おおよそ年に七十万石。それは大藩一つが新たに誕生するに等しかった。
その莫大な収入が、暦の変わるたび、すなわち毎年入ってくることになる。
「はたして今まで、誰も頒暦というものの利益をまともに計算した者はいなかったのだろうか?」と、春海は首をかしげた。
暦という商品は、金鉱脈のような専売特許ではないか…!
「なるほど、全国の神宮などは薄々それが分かっているから、独自の頒暦販売に固執するのだ」
◎争奪戦
もし、その巨富を幕府が独占することになれば…?
「なんとも恐ろしい思いをさせられる数値であった」
否が応にも、春海は「利益の争奪戦」を想像せざるを得ない。
「たかが暦」と何度自分に言い聞かせても、それは「されど暦」。あまりに影響力がありすぎる。
「今日が何月何日であるか。その決定権を持つとは、そういうことだった」
「たかが暦」は、宗教・政治・経済…、そのすべての上に君臨していたのである…!
出典:天地明察 下 (角川文庫)
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