してもらったこと。
お返しをしたこと。
迷惑をかけたこと。
この3つの問いかけ。
それらを通じて、自分の内面を深く見つめていくのが「内観(ないかん)」。
ある男性は、重度の認知症になった母親の介護に葛藤を抱いていた。
「意志の疎通もできなくなった親を介護することに、どんな意味があるのか?」
はじめは内観にあまり乗り気ではなかったというその男性。
しかし、「あるイメージ」が浮かんだことで、みるみる内観が深まっていったという。
その「あるイメージ」とは、真っ黒な俵型のおにぎり。
男性が小学生の頃、友だちが家に遊びに来るたびに、母親は「ノリを巻いた真っ黒な俵型のおにぎり」をたくさんつくってくれた。
しかし、男性はそれが恥ずかしかった。
「ほかの家ではドーナツやクッキーが出てくるのに…。なんで、うちはおにぎりなんだよ…」
当時、男性の家では2人の姉が進学したばかりで、経済的にとても苦しかった。母親には、お腹を空かせてくる子どもたちに、お菓子を買ってあげる余裕がなかったのだ…。
熱々のご飯で手を真っ赤にしながら、たくさんのおにぎりを握る母親の笑顔。
その笑顔が俵型の真っ黒なおにぎりと結びついたとき、男性は気づかされた。母親の想いに…。そして、その想いは男性の胸をこれでもかと突き上げるのであった…。
以来、男性が母親の介護を苦にすることはなくなっていた。
「自分の中に鬼を発見すると、不思議と仏になる」
この言葉は、内観の創始者である吉本伊信(よしもと・いしん)氏の言葉だという。
「ありがとう」の反対語は何か?
それは「当たり前」なのではないか。
自分を中心に物事を見たとき、その心は「当たり前」で占められている。
しかし、その同じ物事を反対から見てみれば…。
きっと「ありがとう」で一杯なのだ…!
出典:致知2013年4月号
「『ありがとう』の反対語」
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