2013年9月11日水曜日

都心は「水の気」がない [平野勝之]



 都心は「水の気」がない。

 別に、ふつうに水道は通っているわけだし、飲み物に困るわけではない。水の「気」がないのだ。コンクリートの比率が多く、また、いろいろなものが密集しているためだ。



 人間は「水」だと思う。

 「水の気」が少ないとバランスが崩れる気がする。



 ふだんから都心を自転車で散歩したり、移動したりしているとよくわかるのだが、水の気が少ないので、非常にザラザラと乾いた感覚を味わいながら走ることになる。

 「水の気」を発信する代表が樹木だ。公園や緑道などに逃げこむのはそのためだ。本能的な身体の反応だとおもう。すべての生き物にとって「原点は水なのだ」と体が訴えかけてくる。これは都市での独特の現象だと思う。



 僕は、コンクリートの中に押し込められて、むやみに祀られるのはゴメンだ。コンクリートや石の墓が嫌いだ。無名の適当な大木などに、そのへんの犬や猫と一緒に適当に埋めるなり、骨とかをバラまくなりしてほしいと思う。

 僕の理想的な環境は、自転車が快適に走れる程度の道や文明、そして野グソくらいは気軽にできるぐらいの環境があればそれで良い。過剰なデジタル機器もいらないし、車だって電気だって、もちろん無くては困るけど、イザとなったら無くてもどうにかなる程度のもので良い。







引用:自転車人NO.32 2013夏号 綴込付録「富士山一周いいとこどりライドMAP」 (別冊山と溪谷)
「軽量家出セット計画Ⅱ 平野勝之」


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