2013年9月11日水曜日

「鬼」西岡常一の弟子、宮大工「菊池恭二」



かつて「鬼」といわれた名工

宮大工「西岡常一(にしおか・つねかず)」

「法隆寺」の大改修や「薬師寺」の再興を成し遂げた伝説的な棟梁だ。彼はその卓越した腕で寺社のみならず、錚々たる名大工たちをも育て上げた。



その最後の弟子といわれる「菊池恭二(きくち・きょうじ)」。21歳で初めて西岡棟梁に会った時、その鬼の異名からは意外にも、優しい言葉をかけられたという。

「菊池君、わからんことがあれば、何でもいいから聞けよ」

後に菊池は知る、その真意がやはり鬼のごとくに厳しいものであったことを。








「聞けよ」と言われても聞けるものではない。眼光鋭く威厳をそなえる棟梁には、さすがに聞きづらい。その敷居はあまりにも高い。

それでも聞いたことがあった。

「そうするとね、棟梁がね、聞き返されるんですな。『お前、それでどう思う?』と」



逆にそう問われた菊池は、一言も答えられなかった。

そして恥じた。自らの考えを突き詰めることなく棟梁にものを聞いた自分を。



棟梁は最後にこう言った。

「菊池君、わしな、学校の先生であらへんで。あんた、自分でよう勉強しなはれ」



以後、菊池は棟梁の一挙手一投足に目を凝らすようになった。

「なぜ、棟梁はそうするのか?」

言葉で教わる以上に、その後ろ姿を見て考えることが学びだったと菊池は言う。

「言葉で何がどうのこうのっていうのは、なかなか伝わりにくい。ただ側に居て、あの人と話をして、あの人の考えを聞いて、あの人の指示の仕方、そこの場に居た、その同じ空気、同じお茶を飲んだという場に居ただけだね」



「空気みたいなもんかな」

ただ棟梁と居るだけで、その同じ空気の中に居るだけで、知らず知らずのうちに菊池の技術は高まっていた。

「なぜなぜ不思議不思議、分からない分からない」と思って棟梁の姿を見ていると、「ハッ」と教えられることが少なくなかった。

そして6年をともにするうちに、自らの人間性も磨かれているように感じていた。








独立後、菊池恭二は岩手で棟梁となり、「池上本門寺・五重塔(東京)」や「毛越寺・本堂(岩手・平泉)」など、古の建築美を現代に蘇らせてきた。

そして今、棟梁として弟子と向き合う時、「鬼」といわれた西岡常一と同じ流儀を貫く。

「オマエ自身は、どう思うのよ?」

それを弟子に問い続けるのである。



「オマエさ任せっから、その線は。この本堂の屋根はオメェの線だ」

耕徳寺を弟子に任せ、その屋根の線を決めさせる。

「これでさ、屋根の線が決まるからさ。自分で見ていいだと思うか?」

弟子が「はい」と答えれば、それで決まる。



菊池は言う。

「技術は伝わるかもしれん、教えれば。でも、それだけではないんだと思う。いい意味でプレッシャーっていう部分も必要なんだろう。それで初めて伝わるんだろうと思うし、人が育つんだろうと思いますな」













(了)






ソース:プロフェッショナル仕事の流儀


0 件のコメント:

コメントを投稿