2013年9月10日火曜日

「分別智」と「無分別智」 空海



「心海、湛然として波浪なし」

「寂にしてよく照なり」

「色空不壊にして智よく達す」



心の海は、深く静かに波一つない。

何も考えなくとも、すべては明らかである。

有と無とが離れえず、深い智慧にたどり着く。



抜粋:空海「秘蔵宝鑰(ひぞうほうやく)」








「分別智はサイエンス、無分別智はアートともいえます(矢山利彦)」

「分別智」というのは、西洋科学的な知のあり方。「分」とは刀で左右に分けることであり、「別」とは刀で関節をバラバラに分けること。

一方、空海らの言う「無分別智」というのは、知の対象すら自らと分かたずに、そのありのままに認識する。それは体感的であり美的でもある。



分別智は言葉で表現できる世界であるがゆえ、学ぶことよって高めることができる。だが無分別智となると、言葉による表現には限界があり、いくら知識を積み上げていけども、それを深めていくことは難しい。

分別智が波風の立ちやすい海面だとすれば、無分別智はそうしたものに一切の影響を受けない深海のようなものであろうか。

「スポーツやアートの世界に親しんでおられる方は、以上のような空海の論について、その通りだと頷いていただけるでしょう。それは論理を介することがないのです(矢山利彦)」






ソース:致知2013年8月号
「空海の言葉に学ぶ 矢山利彦」


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