2013年9月22日日曜日
オリンピック招致、最終プレゼンテーション [佐藤真海]
第一印象というのには、想像以上に大きなものがある。
悲願・東京オリンピック招致に向けた、最終プレゼンテーションの「トップバッター」
大抜擢されたのは、義足のアスリート「佐藤真海選手(陸上・走り幅跳び)」であった。
「まさかトップバッターとは思っていなくて(笑)。ブエノスアイレスに向かう一週間前にそれを言われてビックリしました」
与えられた時間は、他のスピーカーの紹介も含め「4分間」。
世界を共鳴させた、感動のスピーチ!
Mr. President… Distinguished members of the IOC… I am Mami Sato.
会長、そしてIOC(国際オリンピック委員会)の皆様、佐藤真海(さとう・まみ)です。
And I am here because I was saved by sport. It taught me the values that matter in life. The values that Tokyo 2020 is determined to promote worldwide.
私がここにいるのは、スポーツによって救われたからです。スポーツは私に人生で大切な価値を教えてくれました。それは、2020年東京大会が世界に広めようと決意している価値です。
Today, that global vision will be outlined by:
President Tsunekazu Takeda(竹田恒和・招致委員会理事長)
Prime Minister Shinzo Abe(安倍晋三・内閣総理大臣)
Governor Naoki Inose(猪瀬直樹・東京都知事)
Bid ambassador Christel Takigawa(滝川クリステル・招致アンバサダー)
And double silver medalist Yuki Ota(太田雄貴・過去2大会の銀メダリスト)
Please allow me to return to my story.
私自身の話に戻らせていただきたいと思います。
I was nineteen when my life changed. I was a runner. I was a swimmer. I was even a cheerleader. Then, just weeks after I first felt pains in my ankle, I lost my leg to cancer.
19歳の時に私の人生は一変しました。私は陸上選手で、水泳もしていました。また、チアリーダーでもありました。そして、初めて足首に痛みを感じてからたった数週間のうちに、骨肉腫により足を失ってしました。
Of course, it was in despair. Until I returned to university and took up athletics.
もちろん、それは過酷なことで、絶望の淵に沈みました。でもそれは大学に戻り、陸上に取り組むまでのことでした。
I found that I enjoyed setting goal - and beating it. I developed new confidence.
私は目標を決め、それを越えることに喜びを感じ、新しい自信が生まれました。
Most of all, I learnt that what was important was what I had, not what I had lost.
そして何より、私にとって大切なのは、私が持っているものであって、私が失ったものではないということを学びました。
I competed at the Paralympic Games in Athens and Beijing. I felt privileged to have been toughed by the power of sport. And I was looking forward to London 2012.
私はアテネと北京のパラリンピック大会に出場しました。スポーツの力に感動させられた私は、恵まれていると感じました。2012年ロンドン大会も楽しみにしていました。
Then came the 11th of March 2011. The tsunami hit my hometown.
しかし、2011年3月11日、津波が私の故郷の町を襲いました。
For six days I did not know if my family were still alive. And, I did find them, my personal happiness was nothing compared to the sadness of the nation.
6日もの間、私は自分の家族がまだ無事でいるかどうか分かりませんでした。そして家族を見つけ出したとき、自分の個人的な幸せなど、国民の深い悲しみとは比べ物にもなりませんでした。
I collected messages from schools and took them home… And shared with the people my own experiences. I also took food supplies. And other athletes did the same. Together, we organized sport activities to help restore confidence.
私はいろいろな学校からメッセージを集めて故郷に持ち帰り、私自身の経験を人々に話しました。食糧も持って行きました。ほかのアスリートたちも同じことをしました。私たちは一緒になってスポーツ活動を準備して、自信を取り戻すお手伝いをしました。
Only then did I see the true power of sport… To create new dreams and smiles. To give hope. To bring people together.
そのとき初めて、私はスポーツの真の力を目の当たりにしたのです。新たな夢と笑顔を育む力。希望をもたらす力。人々を結びつける力。
More than 200 athletes… Japanese and international… making almost 1,000 visits to the affected area… are inspiring more than 50,000 children.
200人を超えるアスリートたちが、日本そして世界から、被災地におよそ1,000回も足を運びながら5万人以上の子供たちをインスパイアしています。
What we have seen is the impact of the Olympic Value as never before in Japan.
私たちが目にしたのは、かつて日本では見られなかったオリンピックの価値が及ぼす力です。
And what the country has witnessed is that those precious Value… Excellence, Friendship and Respect… can be so much more than just words.
そして、日本が目の当たりにしたのは、これらの貴重な価値、卓越、友情、尊敬が言葉以上の大きな力をもつ、ということです。
applause(拍手)
「言葉に気持ちを乗せて、表情や姿勢でも自分の言いたいことを表現しようとしたつもりです。読まされた原稿では何も伝わりませんから」
「投票結果発表の瞬間は、プレゼンをしているときより緊張していました。もうドキドキで…。安倍総理や森喜朗さんのすぐ隣に座っていたので、こんなところに私がいてもいいのか? と疑問に思いつつも(笑)」
「2020年までに施設や環境面のバリアフリーはもちろん、心の面でのバリアフリーも日本に根づいてくれるといいな、と」
〜スポーツ誌『Sports Graphic Number (スポーツ・グラフィック ナンバー) 2013年 10/3号 』の取材記事より〜
引用:2020年東京オリンピック最終プレゼンテーション(全文付き)勝利した日本式プレゼンテーションの秘密
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