話:桜井章一
スポーツや身体をつかう職人の世界においては、「感覚をつかむ」ことが大事だと言われていたりする。
しかし、感覚というものは、そもそも”つかめないもの”である。
空気は掴むことができない。だが触れるような感覚はもてる。それと同じで、感覚もつかむことはできないが触れることはできるのだ。
「何かつかめたかな」と思っても、その感覚は次の瞬間には逃げてしまう。たとえば、野球選手がバットを何千回、何万回と振って「この感じかな」と思っても、その状態を維持することは難しい。
もし感覚をつかむことができれば、”この感じ”は何度でも再現可能ということだ。そうであれば、好調をずっと維持することもかのうである。だが、現実にはそうはならず、そこからスランプに陥ったりすることさえある。そのことは「感覚をつかむことなど実際にはできない」ということを問わず語りに示している。
だから、どんな一流といわれる選手でも波があり、スランプはある。感覚はつかむのではなく”触れる”。そんな触れるという感覚でいるほうが、つかもうと力むより良い状態が持続できるはずである。
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感覚はつかみようのないものだから、見つけよう、探そうと求めても得られるものでない。それゆえに、”目的も結果もない”のが感覚の世界である。
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人工的な環境に生きている人間にとって、そのような感覚を探るのは難しいが、”違和感”を覚える部分はいくらでもある。違和感を覚えるということは、反対にいえば”そうでない部分”を探せる可能性があるということだ。つまり、違和感をとっかかりにすれば、反対に自然な感覚を探しやすくなるということがいえる。
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引用:桜井章一『体を整える 』
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