話:桜井章一
107歳で亡くなった木彫家の平櫛田中(ひらぐし・でんちゅう)さんは、100歳のとき、30年分の材料を仕入れたという。おそらく平櫛さんは死を忘れてしまうほどの制作への情熱を持っていたのだろう。また、後に人間国宝となる刀匠家の宮入行平(みやいり・ゆきひら)さんに彫刀や小刀を注文した際は気に入ったものができず、いい切れ味が出せるまで宮入さんを弟子入りさせて鍛えたという。
私は平櫛田中さんのことを伝聞でしか知らないが、察するにこのような徹底した職人肌の人にはホンモノの存在感が漂っていたのではないかと思う。
「あの人はホンモノだ」「あれはニセモノだ」といった評し方を、人に対してすることがあるが、何をもってホンモノか、あるいはニセモノなのかという理由は感覚的なものなので定義しづらい。だが、ニセモノといわれるような人の場合は、たいてい他人から「なんかインチキな感じがするね」と受け取られることが多いものだ。反対にホンモノといわれるような人は、その理由がわかる人にはわかって、わからない人にはピンとこないものである。
私の場合、「ああ、この人はホンモノだ」と感じるときの基準は、ある意味、明快である。それはカラダにごまかしようもなく表れるものだからだ。
数年前のことだが、温泉場の近くの山道を歩いていたとき、尿意をもよおし、「おしっこでもするか」と適当な場所を探していたら、大きな荷物を背負ったお婆さんとすれ違ったことがある。
ところが、そのお百姓らしきお婆さんの動きがなんともいえず見事だったのである。つい見とれてしまって、おしっこをするのも忘れてしまったほどだった。老人にしては一切無駄のない極めて自然なカラダ使いだった。
挨拶をしたら、やはりすごくいいものが返ってくる。「喉、渇いてない? うちはすぐそこだから、よかったらお茶もってくるよ」と。生き方というものは、そのまま動きに出るものなのだ。
…
引用:桜井章一『体を整える』
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