2013年11月7日木曜日

わずかばかり正直なカラダ [桜井章一]



話:桜井章一




人類は、カラダを使うことを下に見て、知を上に置くという”人の世”をつくり上げた。

知は文明の豊かさをつくり出してきたが、その裏で、膨大な悲劇があったことも事実であろう。社会が複雑化することで人間の精神も多様化し、心や考えや思いといったものは分かりにくくなってしまっている。



知から発する言動には、ウソやごまかしが避けようもなく混じる。それに比べれば、カラダのほうがわずかばかり”正直さ”を残している。

目的や目標に向かってそれを成すためには、「しっかりつかめ」「握ったら離すな」と知がささやく。それを人は努力という言葉で表すらしいが、そのことによって五感の中にある”触れる”という感覚を押し潰したり、失ったりしている。

力が入ると、何事も嘘っぽくなる。力まず、そっと触れるという感覚。力を入れる生き方から離れて、そっと触れるという感覚を取り戻せば、どんなものごともスムーズに何かを成せることをカラダは素直に教えてくれる。幸せも掴みにくいのでなく、そっと触れる感覚をもてた時に、本当の幸せを感じるのかもしれない。



山間の川にいくと、無数の大きな岩が転がっている。人の力では梃子(てこ)でも動かない岩も、水の流れによって移動し続ける。カラダも「流れる感覚」で動かせば、常識では思いもよらぬ発見がきっとあるはずだ。

そうして、知や思考よりもカラダの”正直さ”を生の流れのなかに見つけだし、かつて棲んでいた「感覚の世界」を取り戻すことが、知や思考で混乱を極めた人間が軌道修正をはかる一つの手立てになるかもしれない。






引用:桜井章一『体を整える 』まえがき



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