2013年10月4日金曜日

自己犠牲の神「八幡さま」



「神道の西田長男さんなどは、成仏するには52段階の修行を経なければならないと言います。この『八幡菩薩』さまは50段階のところで留まっておられる。大悲闡提(だいひせんだん)の菩薩といわれ、自身は一切衆生が成仏するまで成仏せずに、地獄にいて一切衆生を極楽へ送るのだといいます」

鎌倉にある「鶴岡八幡宮」の宮司、吉田茂穂(よしだ・しげほ)さんはそう語る。

「だから『八幡神』は、自己を犠牲にして生きとし生けるモノを救い尽くして極楽に送る最も慈悲深い神ということになる。自己を犠牲にするという、日本人が最も好むタイプだと思います」








そもそも、八幡神は北九州の豪族「宇佐(うさ)氏」の氏神だったが、それが天皇の皇祖神にもつながる応神天皇の神霊とされたことから、日本全土にその根を広げることになる。

吉田宮司は語る。「宇佐の地(大分県)で、大神比義(おおがのひぎ)が3年間かたわらに仕え祈ると、3歳の童子が笹の葉に現れ、”吾は誉田天皇。廣幡八幡麿(応神天皇)だ”と名乗って登場したのです」

吉田さんが宮司を務める鶴岡八幡宮は、鎌倉幕府を興した源頼朝ゆかりの神社として、つとに有名であるが、その創建は康平六年(1063)、源頼義が前九年の役で戦勝を祈願した岩清水八幡宮(京都)を鎌倉に勧請したことが始まりと云われている。








「古代より自然に囲まれて稲作を中心に暮らす農耕民族であった日本人は、古くは神が建物に常住するという観念はなく、山の彼方、海の彼方にいらっしゃると信じていました。人々は春になると、山の神を田の神として招き、懇ろな祭りを営みました。その目印が『桜の木』だったのです。昔は桜の開花を『神様の来臨』と受け止めたのです」

桜は、古代から穀物の神が宿るとも考えられ、稲作の神事に関係していたといわれている。「田植え桜」や「種まき桜」、そう呼ばれる桜の木はいまも田舎に多数残る。



東日本大震災の前年の3月10日、鎌倉・鶴岡八幡宮の御神木であった「大銀杏(おおいちょう)」の木が倒れた。

その一年後、再生の願いを込めたお祭りをしたその翌日、あの大災害が起きた。

すぐに救援活動に立ち上がった吉田宮司。「国難打破」の神とされる八幡神と、「国家鎮護」の東大寺との合同の歳事、法要を行ったという。





ソース:致知2013年10月号
「倒れた大銀杏の姿から、神への畏れと感謝を知る 吉田茂穂」

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