2012年9月17日月曜日

戦火が止むや一転、ドンチャン騒ぎ。旅順攻防戦


日露開戦から初めての年明けとなった明治38年(1905年)1月1日、旅順の二竜山堡塁を占領した第九師団は、さらに望台の占領を企てた。一戸兵団と前田兵団は左右両翼より山頂に突撃、雄叫びを上げながら駆け上がった。

午後3時40分、敵影は完全に消える。占領した望台から見下ろせば、旅順の旧市街はまるで足元にあるかのような近さに見えた。そして、午後4時、白旗を持ったロシア・マルチェンコ少尉が休戦の申し入れにやって来る。

それを受けて、乃木希典は全軍に戦闘中止を命令。こうして155日間にわたった旅順攻防戦は、ようやくその幕を下ろすこととなった。



ここで特筆すべきは、戦火が止んですぐに「兵士交歓(フラターニティ)」が行われたことである。旅順の旧市街からは将校夫人とおぼしきロシア女性が現れ、日本軍の豪の者たちも旧市街へと繰り出し、酒食の歓待を受けたという。

ちなみに、のちの第一次世界大戦でも、交戦中の敵味方であったドイツ・イギリス両軍の兵士が、クリスマスの時にはサッカー遊びに興じている。



乃木は明治天皇の親裁を得て、「将校に帯剣を許す」という寛大な措置をとっている。しかしその陰で、乃木は将兵の死を悼んで、静かに嗚咽していたという…。



出典:歴史人歴史人 2012年 01月号
「屍の戦場! 旅順要塞と二〇三高地攻略」

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