2013年10月14日月曜日

『ハイ、ハイ』が円朝 [無師独悟]



「悟り」とは?

次のエピソードは明治時代の落語家、三遊亭円朝が「悟り」を得たときの様子であるという。



「ある日、大和尚が急に禅室へ召されますので、とりあえず参りますと、大和尚が威たけだけしく『円朝』と呼ばれますので、『ハイ』と答えますと、『わかったか?』と仰せられますゆえ、『わかりませぬ』と申しました。

 すると大和尚は例の目をむき出しにして、『汝、返事をしながら、わからぬか!』と一喝され、また『円朝』と呼ばれるので、『ハイ』と答えますままに、豁然省吾いたしました。

 そこで私ははじめて、円朝が『ハイ、ハイ』ではなく、『ハイ、ハイ』が円朝である、合点しました」



ここで円朝が悟ったと自覚したものは、「まぎれもなく2,500年前の釈迦の悟りそのものである」と、別府慎剛氏は著書『無師独悟』でいう。

「円朝が『ハイ、ハイ』ではなく、『ハイ、ハイ』が円朝である」という真意はいったいどういうことか?

書『無師独悟』は、「ただ悟りの一点に的を絞って、悟りそのものを伝えるべく傾注したつもりである」と著者・別府氏はいう。その姿勢は、「悟りを得ることを唯一の目的とする仏教の宗派の一つ、禅宗そのもの」とのことである。





ソース:無師独悟

0 件のコメント:

コメントを投稿