2013年10月22日火曜日

「パスチャライズ牛乳」誕生秘話


話:佐藤忠吉・木次乳業

かつて日本の牧場は高温多湿で菌が多く、「牛乳は高温で殺菌しなくてはいけない」というのが国の流れでした。ところが、そうなるとタンパク質が変成して「カルシウムの吸収が悪い牛乳」になってしまう。

それはおかしい。ヨーロッパ人は生に近い状態で牛乳を飲んでいるそうじゃないか、と。

それで、タンパク質を変えないような「自然に近い殺菌方法」はないかと1970年から3年間、研究を続けたんです。国際乳業連盟が定めた方法は「63℃で30分」ないしは「72℃で15分」です。卵が半熟になる手前くらいの温度です。

この方法は低温ですが、どうしても100分の1は菌が残る。乳酸菌ならいいわけですが、間違って病原菌が残ったら大変ですから、私たちの目標は「原乳の質をいかによくするか」ということになりました。



搾った牛乳を63℃・30分という条件で処理したものを、孵卵器で48時間、腐敗させる発酵実験をして、それを私たちが毎日飲んで味をチェックするわけです。自分たちの体で生体実験をやったんですな。毎日毎日それを繰り返すことで、「タンパク質やビタミンを壊さない殺菌法」が確立されていったんです。

わが社の基本的な方法、低温・長時間殺菌の「パスチャライズ牛乳」はこのようにして完成し、1978年から全国の消費者団体に広く知られるようになっていきました。



※いまや多くの人々に愛飲される「パスチャライズ牛乳」。それを日本で最初に手掛けたのが、島根県雲南市にある「木次(きすき)乳業」であった。





引用:致知2013年11月号
「片足は理想の土に、もう一方の足は現実の地に 佐藤忠吉」



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