2013年10月22日火曜日

禅と「夜盗」



話:鈴木大拙


宋代の五祖法演(〜1104没)によって説かれたつぎの説話は、知力・論理・文字言語を基とする説教とは相反するものといわれる”禅的方法”と”禅の精神”を、われわれが理解するうえに多大の助けとなろう。


五祖法演「人が、禅とはいかなるものかと問えば、自分は禅とは”夜盗の術を学ぶに似たるもの”と答えるであろう。

 ある夜盗の息子が、自分の父の年老いたのを見て思った。『親父が商売(夜盗)をやれぬとすれば、この己よりほかに家の稼ぎ手はいないわけだ。己が商売(夜盗)を覚えねばなるまい』

 彼はこの考えを父親に密かにもらし、父親もこれを承知した。一夜、父は倅(せがれ)をともない、ある豪家にいたり、塀を破り、屋内に入り、大きな長持(長方形の木箱)の一つを開き、息子に『この中に入って衣服を取り出せ』と命じた。

 息子が中に入るやいやな、父はその蓋をおろして鍵を固くかけた。そして中庭に飛び出し、『泥棒だ』と大呼し、戸を叩いて家中のものを起こしたうえで、さて己はさきの塀の穴から悠々と逃げ去ってしまった。

 家人は立ち騒いで灯をつけたが、盗人はすでに逃げたことが判った。そのあいだに長持の中に固く閉じ込められた倅は、父親の無情を恨んだ。彼はひどく煩悶したあげく、名案が不意に浮かんだ。ネズミの物を齧じるような音を立てると、家人は下婢に『灯をとって長持を調べよ』と命じた。蓋を開けるやいなや、ここに閉じ込められていた捕虜は飛び出した。灯を吹き消した。下婢を突き飛ばした。そして一目散に逃げ出した。

 人々は彼を追いかけた。彼は路傍に井戸を認めたので、大石を抱き上げてこれをその水中に投じた。すると、暗い井のなかに盗人が入水したのだと思って、追手のことごとく井戸の周囲に集まった。そのうちに彼は無事、自家に戻った。

 彼は危機一髪のところだったといって、父親の非道を鳴らした。父親がいった、『まァ、憤るナ。どうして逃げてきたかチョット話してみろ』。そこで倅がその冒険の一部始終を語り終わったとき、父親はいった。『それだ。オマエは夜盗術の極意をおぼえ込んだ』」


この過激な夜盗術の教授法によって、”禅の方法論”が説明される。禅では弟子がその師匠に教えを求めると、師は弟子の面を打って一喝する。「咄、この懶者(なまけもの)め」。




引用:鈴木大拙『禅と日本文化 (岩波新書)

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