話:鈴木大拙
唐代に一僧あり、投子(とうす・大同禅師)に尋ねた。
「一切の音はみな仏陀の声であると思いますが、そう解してもいいでしょうか?」
「それでいい」と和尚は答えた。
僧はさらに一歩を進めて、「それでは和尚さんの声も、ぶつぶつ発酵する”どぶ泥”の音と違いないでしょうか?」
投子はこれを聞くや、かの僧に一棒を喰らわした。
僧はまた尋ねた。「悟った人にとって、つまらぬ誹謗的な言葉でもみな究極の真理を表すものだと断定してよろしいでしょうか?」
師が答えた。「よろしい」と。
すると僧は進んで、「では、和尚さんを驢馬(ろば)だといってもよろしいでしょうか?」
和尚は依然としてまた彼を打った。
…
投子は僧の知的解釈をただちに斥けて、一棒を喰らわしたのである。僧のほうでは、自分の言葉は最初の断定から論理的に続いているのだから、和尚はおそらくこれに加えるところはあるまいと思ったのだ。
和尚は、あらゆる禅匠と同じく、かかる僧に対しては言葉による説明の無益なるを知った。言葉の上の詮議は”一つの複雑”から”他の複雑”に入って、終わるところを知らぬからである。くだんの僧のごときに観念的理解の虚偽を悟らせる唯一有効な道は彼を打つことである。
そして、「一即多、多即一」の意味を彼自身に体験せしめることである。この僧にとっては論理的夢遊病より醒めることが必要である。ゆえに投子は手洗い法にでたのである。
引用:鈴木大拙『禅と日本文化 』
0 件のコメント:
コメントを投稿